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JAPAN⇄CANADA 4-5

スタンピードショーバンド、2年目の夏は昨年よりワクワクしていました。またあの楽しい最高の日々が過ごせると思うといてもたってもいられません。12時間(内食事休憩2.5時間)の練習が毎日行われるのは確かに疲れましたが、その疲れを飛ばしてくれたのもマーチングの練習や本番でした。6月末には学校も終わっていたので心置きなくマーチングに集中することができたし、それこそ苦楽を共にしてきた仲間と過ごす時間はかけがえのないものでした。


ショーやパレードでは昨年からの成長をすぐに感じました。初っ端から動きながら演奏が出来たのです。いや、当たり前と思ったかもしれませんが1年目の私は息がすぐにあがってしまい動きと演奏を同時に行うことが最初はできていませんでした。これは2年目の意地もあったのですが、意外とすんなり演奏が出来たので内心びっくりしました。昨年と同じようでちゃんと進んでる。そう思えた時にやってよかった、続けてよかったと改めて感じました。


夏になると、メンバーはもちろん指導者のスタッフと来年度どうするのかという話題が頻繁にあがりました。クラリネットパートの中でも、もちろん次の年残るのか去るのか色々話しました。その中でも来年度のパートリーダーは誰になるのか、一体誰が志願するのかが1番の話題でした。前の年から2年続けてリーダーを務めていたSamという7年目のベテランメンバーがとうとう引退することになっていました。もちろん、リーダーがいなくなるということは新しいリーダーが必要ということです。リーダーは全ては志願制で、なりたい人がどうしてなりたいのか、なることに対してのメリットなどを文章で書き、提出することになっていました。私はいつかなりたいと思っていましたが、正直まだ自信はありませんでした。経験が1番少なく、さらに先にバンドに入った人達の上に立つことが果たしてできるのか不安だったのです。しかし、仲の良かった子たちから

「Marieは志願した方がいいし、他に相応しい人はいないよ」

と言ってもらえたこともあり、募集期間が始まった時に志願する決意を決めました。これは小さいけれど大きな1歩だったと今振り返ると思います。


さてさて、いよいよスタンピード本番がやってまいりました。この年のスケジュールは前年度と若干違っていました。1日の締めとして行われる「グランドスタンドショー」というものにこの年は参加することになりました。と言っても最初のほんの1分くらいでした。でもその1分の為の移動が意外と大変で、会場の1階から3階、4階、5階とそれぞれ階段で登ってそこから10分から15分程待機し、1分の演奏が終わったらさっさと隊列を組んで階段を降り会場を後にするというものでした。私は一番上の5階を割り振られたので、1日の最後に疲れた足を持ち上げ一生懸命階段を登らないといけませんでした。でも待機中は割と気楽で、小声でメンバーと談笑しながら出番を待ちました。リハーサルではタイミングが分からず苦労したのですが、3日目にもなると流れている音楽も舞台上で行われている振りも覚えみんなで真似していました。実はこの1分の演奏、リハーサルの前の暗記時間が3分くらいしかありませんでした。無茶なことでも何事もないように舞台に立つのが私たちスタンピードショーバンドでした。メンバーの間でば皮肉混じりにこの事を笑飛ばしていましたが、今考えると凄いことだよなと思います。


スタンピード期間中は毎年頑張った、貢献した、成長した、メンバーの功績を讃える「バンドリボン」と呼ばれるものを各セクション2名ずつ発表するという恒例の行事がありました。バンドリボンはウェスタンユニフォームと呼ばれる、シャツとパンツを着たカウボーイ風の格好をした時に胸に付けることができました。軍の人なんかが勲章を胸につけるのと似ています。アンサンブル(金管、サックス、パーカッションなど、やりたい人が集まって毎年スタンピードの期間中敷地内で演奏するグループで、ディズニーでよくあるようなあれ)に参加したり、3年目以降だったりすると貰えるバッジもあり、それを付けることができるのですが、アンサンブルをしていない1、2年目のメンバーはこのバンドリボン以外つける機会がありません。そのバンドリボンをこの年、ありがたいことに私が1つ授与されたのです。昨年はこんなものがあると知らず、へーとしか思っていませんでしたが、貰えたらいいなと密かな野望を抱いていたので凄く嬉しかったです。確かあれは、午前中の練習が終わり、フィールドに集まりメンバーとスタッフで全体ミーティングを行った後でした。汗だくで練習着のままのなんともカッコ悪い授与式になってしまいましたが、嬉しくてウキウキが止まりませんでした。なにか報われた気がしてつい泣いてしまいました。多分泣いたのは私だけだったと思います。どうしてもスタンピード期間中は涙脆くなります(元から涙もろいですが)。バッジを貰ったことへの喜びが他のメンバーの倍くらいあったと思います。それにはちゃんと理由があって、実はこの日は私の誕生日だったのです。しかも20歳の。カナダでは20歳はそれほど重要な年ではないのですが、日本で育った私にとっては勿論大きなことでした。こんな日に努力の勲章を頂けたことに今でも感謝しています。


午前中の練習が終わった後、早速ウェスタンユニフォームを着ての本番があったのでバンドリボンを胸に付けてパフォーマンスをしました。付ける位置も明確に決まっているので、他のメンバーに付け方を教えてもらい、私のバンドリボンは燦々と照る太陽のもと、デビューをしたのでした。この日も夜遅くまで本番が続き、いつもの如くへとへとになって帰ったのですが、家族にバンドリボンを見せた時疲れが少し飛んだ気がしました。特に両親はおめでとうと喜んでくれました。もちろんそのあと誕生日のおめでとうも言ってくれました。帰ったのが日付の変わる30分くらい前だったのでギリギリでしたが、ケーキのロウソクを吹き消し、プレゼントを貰いました。実は20歳の誕生日はお酒を飲むと決めていたので、お酒も出してくれました。カルガリー市のあるアルバータ州では法律上18歳からアルコール飲料が飲めるのですが、20歳を迎えるまで飲むことはありませんでした。ついにこの日解禁したのです。といっても次の日も朝から練習があり、パフォーマンス漬けの1日が待っていたのでノンアルコールのビールでこの日を締めました。


-つづく-

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