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たまごっちの話

 noteのデビュー記事にしようと思っていたものです。長すぎるから分割した方がいいかなとか思って放置していたのですが、そのままでいい気がしたので、加筆修正して上げます。

 2022年の夏、久しぶりにてんしっちを育ててみた。今持っている本体は社会人になってから買ったもので、その時に少し育てたきり、もう何年も放置していた。電池を入れたまま放置していたら、最後は昼夜問わず異音を繰り返していたので、壊れたのではないかと思っていたのだが、ボタン電池を入れ替えたら何事もなく復活した。

 てんしっちは文字どおり、天使を育てるたまごっちである。たまごっちの死後の姿であるてんしっちを、子供から大人になるまで育てて、お祈りなどのお勤めをしてもらい、それが済んだら彼らは天に帰っていく。そういう設定である。
 ちなみに今回私が育てた結果は、
 まるてん:幼児期。ただの丸い天使。→
 こどてん:こども天使。→
 くりてん:頭が栗みたいな形をしている裸の天使。かわいい。普通のたまごっちでいうところのまめっちに相当する、一番真面目なキャラ。いつもまめに世話しすぎてこれにしかならないのがちょっと辛い。→
 お祈りをMAX褒める→
 ふたごてんし:隠れキャラ。実物初めて見た。天使が2人横にくっついてる。
 なお、ふたごてんしでお祈りをMAX褒めたあともずっと生きていて、最後は老衰なのかゲージが減るのがかなり早くなっていた。結局全部で15日間生きて天に帰っていった。
 …というわけで、大分長生きしたのでもうしばらくはいいかな…となり、今度はちゃんと電池を抜いてしまっておいた。本当はもっと戦略的に、ごはんはあげるけどごきげんは最低限、とか、おやつを過剰にあげる、とか、そういう極端な育て方をしないと他のにならないんだろうけど、ちょっともうそれをする気力はなかった。

 私は子供の頃から、周囲の子供に比べてたまごっちが大好きな子供だった。小学生の頃は、胸にたまごっちが入るサイズのポケットが付いたシャツを選んで着ていたし、当時は主に3体育てていたのだが、サイズの微妙に違うそれらがすっぽり収まるような内ポケットが付いたポシェットを、母親に作ってもらったりした。高校に入ってからも、新しい機種が出たので(ちょっとでかいやつ)、それも買ったりした。
 さて。ここまで言いながら、実は私はいわゆるベーシックなたまごっちは育てたことがない。てんしっちを始めとした、派生のシリーズしかやったことがないのである。
 今日はここで、唐突ながら、私が過去に持っていたたまごっちの亜種たちについて振り返ってみたいと思う。

てんしっち

 比較的初期の型で、おそらく最初に持っていたのはこれだと思う。今私が持っている本体にも「1997 Made in China」と彫られている。仕様は上に書いたので書かない。本体が割と小さい。昔持ち歩いていた3体のうちの1体。

オスっちメスっち

 昔持ち歩いていたうちの残りの2体。てんしっちよりもちょっと大きい。これが画期的で大好きだった。
 オスっちメスっちはそれぞれ本体が分かれていて、オスっちにはオスの、メスっちにはメスのたまごっちしか住まない。本体の上部に、割れた卵みたいなジグザクの亀裂が入っていて、そこが蓋みたいに取れるのだが、露出した部分には銀のパーツが付いていて、それをオスっちメスっちで組み合わせると子供ができる。(今になって言うとちょっとアレな気もするが。) 子供はまずメスっち側に2体現れて、やがて1体が画面外に飛び出し、オスっち側に降りてくる。メスっち側に残るのはメスの子供、オスっち側に移動するのはオスの子供である。
 親がいる間は、親が子供の世話をしてくれる。例えば、ごはんをあげると、親は自分が食べた後に、スプーンで子供に食べさせる。…なんて芸が細かいんだ。子供が次の段階に成長すると、親はいなくなってしまう。この再生産を延々繰り返すのである。

 オスっちメスっちで特徴的なのは、再生産に伴う"世代"の概念である。確か、前の世代の情報を見られるコマンドがあって、3世代くらい前までなら遡れた気がする。そこには、先代の個体の年齢やら去っていったときのステータスやらが表示されていた…ような記憶がある。
 ここで問題になるのが、世代ごとに個体を区別するために、個体に名前を付ける必要があるということだ。これが当時、小学校中学年だった私にはなんだか難しく、いつも母親に「名前つけて」と頼んでいた。

 母は、ロシアが好きな人だ。いや、ロシアに限らず、もう少し広く東欧やトルコも好きな人だ。家の棚にはチャイコフスキーのCDがぎっしり並び、まだ新潟県にトルコ村というレジャー施設があったときは、年に一回くらいのペースで行っていた。今はもうなくなってしまったが、トルコ村のお土産店にはトルコ石のアクセサリーがたくさん並んでいた。私はトルコ石を、あんまり綺麗だと思ったことがない。見慣れない青色で、何か…変な模様だなと思っていた。私の名前もロシア人にいるからというのが由来だし、実家の電子レンジの横には、今もあるかどうかは分からないが、イコンのポストカードが立て掛けられていた。世界史の共通テストをやれば、母は今でも私より高い点を取る。もっと幼い頃の私は、VHSに録画されたある映像を、取り憑かれたように何度も見ていたのだが、それは真っ黒な舞台の上で、パステル調の黄色やピンク、青、緑の衣装を着たバレリーナがくるくる踊っているというものだった。そのVHSの背に貼られたシールには、母の筆跡で薄く小さく、私は今になってそれを単語として認識できるのだが、「モイセーエフバレエ」と書かれていた。

 …さて。母にたまごっちの名前をつけるよう頼むと、母は大体、「きえふ」とか「もすくわ」とか「べらるーし」とか、主に旧ソ連圏の地名をつけた。「みんすく」というのもあった。というか、5文字以内で収まるあの辺の国名や都市名は、ほぼ網羅したのではないだろうか。(アゼルバイジャンとかは長いから含まれない。) 名前をつけてもらった後、私が昼下がりの駅のホームで「きえふってなに?」と聞くと、母は「ウクライナの首都だよ。」などと教えてくれるのだが、当時小学4年生くらいの私には「ふーん。」としか答えようがなかった。2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した日、報道ステーションの画面で「ウクライナ・キエフ」の文字を見たとき、私は真っ先に(たまごっちの名前だ!)と思った。…高校世界史でキエフ公国とか習ったのにね。
 オスっちメスっちより、母の話になってしまった。

玉緒っち

 文字どおり、中村玉緒を育成するたまごっちである。これは、同じく当時小学生くらいだった私が、どうしても新しいたまごっちが欲しいとわがままを言って、両親と埼玉の大宮のおもちゃ屋さんを探し回り、天井までおもちゃが積まれているような小さな店で、店主のおじちゃんに「これしかないよ」と差し出されて、渋々了承したものだったと思う。(私はこういう、記憶の奥底にある90年代後半〜00年前後特有の風景を思い出すと、無性に懐かしくて泣きたくなる。)
 玉緒っちは、ごはんとごきげんの他に、おけいこという項目があるのが最大の特徴だった。しかも、おけいこは「ボケとツッコミ」「しばい」「おどり」と3種類もある。なんて高度なゲームシステムなんだ。
 でもこれは、私には高度すぎて、あまりうまく育てられなかった。特におけいこが、当時学校で忙しい小学生の私には難しかった。当時の私は謎の完璧主義を発動して、ボケとツッコミを、一番最初にあるからという理由だけで、まずこれを攻略しなければならないと思い込み、何度失敗しても選び続けたのだが、そもそもこのボケとツッコミがなんか難しい。最終的にはいつも、「玉緒っち」ではなく「たばこっち」という(公式の説明によると、すっかりやる気のないキャラ。)、リーゼントでタバコを吸っているヤンキーみたいなキャラになってしまうので、いつしかやめてしまった。ボケとツッコミに固執していないで、「しばい」や「おどり」にしていたら、女優やアイドルになれたかもしれないのに。
 私の記憶の片隅には、たばこっちが黒い外車みたいなものに乗っている映像が残っている。それは確か、たばこっちの引退(たまごっちで言うところの死)を意味する演出だったと思うのだが、今考えると、彼(彼女?)は、芸能界を引退して、黒い車に乗って、一体どこへ行くつもりだったんだろう。もしも危ない世界へ行ってしまうのなら、一言止めてやりたかった。とにかく私の中で、玉緒っちの記憶は、ニアリーイコールたばこっちの記憶である。

むしっち

 森で発見!!たまごっち。通称むしっちである。これは幼い私にとって、永遠の憧れだった。
 当時は攻略本だけを持っていたのだが、それによると、むしっちは芋虫から始まり、かぶとむしやらこがねむしやらの成虫になるのだが、その間にある"さなぎ"の期間が極めて特異だった。このさなぎに対しては、通常のたまごっちに必要なごはんやごきげんは、一切必要ない。その代わり、温度管理が必要なのである。もちろん、どの程度の温度で育てるかによって、結果が変わってくるのだろうが。
 この、"さなぎの温度管理システム"が、幼い私の心をやたらと掴んだ。 
 ところが最近、大学時代の日記を読み返してみたら、どうやら学生時代にむしっちを持っていたらしい事実が判明したのである。確かに何か…妙にリアルな本体の質感などの記憶があるのだが、もしかしたら学生になってから、バイトで稼いだ金に物を言わせて、あるいはAmazonという文明の利器に頼って、買ったのかもしれない。…別に数千円だけど。
 でも本当に、芋虫の記憶は何となくあるが、育て上げた記憶は一切ないのだ。それどころか、あれだけ憧れていた温度管理システムに手を付けた記憶もない。
 ここから先は、本当に推測になるのだが、むしっちは、その芋虫の期間の育成が難しすぎるのではないだろうか。
 むしっちは、本体のいずれかのボタンを押すと前面に出てきてくれて、芋虫の姿を取るのだが、そうでないときは(要はスリープモードみたいなときは)、1ピクセルぐらいの点で表されていて、それが時折、ビッグフット(まあ人間の足だけど)に、踏まれるのである。(虫かごに入れとけよ。)
 一回踏まれただけで即死にはならないが、ダメージは蓄積する。踏まれそうになって呼び出されたときには、追い払ってやる必要がある。このシステムは、サイレントモードで育てている学生、あるいは社会人、あるいは授業に出ている小学生には、厳しいのではなかろうか。
 今、実家にむしっちを取りに行って、芋虫の期間を連休などにあてて育てる手もあるが、そもそも起動してくれるかどうかわからないし、やっぱり育てる自信がない。それに壊れていたとして、こんなたまごっち育成の実績もろくにない人間が、Amazonの貴重なむしっちを2つも買い占めるなんて、そんなことはできない。そういう意味では、むしっちは今も、永遠の憧れかもしれない。

たまごっち文字

 最後にもう一つ。たまごっち文字について。
 私の家には、たまごっち本体だけではなく、たまごっち関連の本も何冊かあった。上で述べた攻略本とか、普通の漫画みたいなのもあったが、ここでは厚い紙でできたでかめの絵本を取り上げたい。
 その本の一部において、たまごっちたちの会話は、たまごっち文字で表されていた。たまごっち文字というのは、たまごっちたちが使っているという設定の文字で、タイ文字みたいな形をしている。これが、見開き1ページに書かれた漫画の中で、たまごっちたちのセリフとして吹き出しの中に書かれていた。さて。この中身を知りたい私のような子どもはどうすればよいかというと、同ページの左下に載せられた、五十音とたまごっち文字の対応表を見て、一字ずつ解読しなければならないのである。…今思えば、なんて高度に知的な遊びなんだ。
 私が子どもの頃にこうした文化を作ってくれていたのは、多分バブル世代より少し上か、若くてバブル世代の人たちだったと思う。すごく狭い話になるが、名探偵コナンの作者・青山剛昌さん(1963)とか、私が大好きだった番組『人気者でいこう!』(現在の『芸能人格付けチェック』の前身)のMCだったダウンタウン・浜ちゃん(1963)とか、ちょっと遡りすぎて見てない頃だけど、その番組の初期の主題歌は奥田民生(1965)だったりとか。
 たまごっち文字を考えたバンダイの人も含めて、きっとこの頃の人たちは、別に子どもたちの頭を良くしようなんてそんなに考えてなくて、単に大人視点での遊び心でもって仕事をして、そのおこぼれを子どもが摂取していたんじゃないかなと思う。今も、我々の世代だと例えば音楽やスポーツなどは結構がんばっていると思うが、そういう、大人が夢中になっていることが、意図せず下の世代に影響を与えるって、いいなと思う。

 …うん。以上。まとまりがなくなってしまったが、とにかく書きたいことは一通り書いたのでおわり。


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