場面緘黙症の息子の卒業式の日に蘇ってきたトラウマ


子供が卒業式に学校からもらった花

3月14日(火)に一人息子の中学校の卒業式に出席してきました。うちの子は小学校2年生のときから「場面緘黙」という症状があって、クラスの中では一切しゃべることができず、友達は一人もできませんでした。

場面緘黙(かんもく)とは、家などではごく普通に話すことができるのに、例えば、学校のような「特定の状況」では、話すことができないことが続く状態をいいます。


そして、迎えた卒業式の日。

最後はみんな校庭に集まって、友達同士で写真を撮り合ったりしている中、うちの子だけはただ一人、だれも写真を撮ろうと声をかけてくれず、最後の最後まで独りぼっちでした。

彼が場面緘黙で友達が一人もいないことはずっと前から知ってて、それはそれで仕方が無いと思って慣れていたので、彼に無理強いするようなことはせず、卒業式のそういう場面に出くわしても、私や妻は特に何とも思いませんでした。

そして、家族三人で帰る途中、卒業祝いの一環ということで、少し高めの和食屋でお昼ご飯を食べました。

そのとき、なぜか、それまで何ともなかった私の心に、突然寂しさや悲しみ、後悔、などの嫌な気持ちが湧き上がってきました。

私の寂しくて孤独に苦しんでいた高校生活が急に蘇ってきたのです。

私は中学校のとき一生懸命勉強して、地元で一番偏差値の高い進学校に行きました。

しかし、私の高校生活は夢に描いたバラ色のようなものとは真逆で、学校生活のすべてに反抗していました。

元々男子の数が多い学校で、私はずっと男子クラスでしたから、彼女なんてもちろんできませんでした。

いや、彼女以前に、友達と呼べる人が一人もいませんでした。

今で言うところの完全な陰キャでした。

部活動は何もせず、ほとんどの同級生が何らかの部活に入って放課後も学校に残っているのに、自分だけ一人寂しく帰宅していたのを覚えています。

文化祭のときは、一緒にまわる友達がいなかったので、一人ぼっちで学校内をウロウロしていました。

心の底で、世界中の全ての人と友達になりたい、と思っていながら、実際は誰一人として友達がおらず、いつも一人寂しい高校生活を送りました。

卒業式の日は、みんなが写真を撮り合ったり、住所とかを交換し合っている中、私だけ一人寂しく学校を去っていったときは、本当にもう泣きそうだったのを覚えています。

当時の10代の私にはそれがあまりにも辛く、以後30年間抑圧して生きてきました。

その、ずっと抑圧していた悲しみや孤独感などが、息子の卒業式の日にふと湧き上がってきたのです。

あの頃に戻って友達をたくさん作ることが出来れば・・・
自分の人生、もっと変わってたかもしれない・・・

という後悔の念が押し寄せてきてどうすることもできませんでした。

後悔なんかしてもどうしようもないのは分かり切っているけど、でも湧いてくる気持ちを抑えることもできない・・・

その日は、家に帰ってからもずっと沈んでいました。

今まで、どれだけ抑圧してきたんだろう・・・この悲しみ。

思い返せば、これまでの社会人生活でも、どこに行っても人と分かり合うことができず、いつも心のどこかで疎外感を感じていました。

高校時代に築き上げられた生き方や考え方から抜け出せなかったのかもしれない。

でもね、やっぱり私は自分の与えられた人生に感謝してる。

素敵な妻が与えられ、子供は健康に育ち、自分自身にも五体満足な体が与えられ、衣食住も満たされ、何人かの素晴らしい友人もいる。

子供の卒業式の日はずっと気分が沈んでいたけど、逆に今の自分がどれだけ満たされているかを考えたら、少しだけ気持ちが楽になりました。

気付いたら、もう人生も後半戦に入ってしまった。

大した人生じゃなかったけど、でも、これから好きなことを見つけて、死ぬまで思いっきり楽しめばいいじゃないか、と思えてきました。

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