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高慢と偏見

10代の頃、ブラジルのインターナショナルスクールに通っていた。
転入した頃は学校での英語も現地でのポルトガル語も全くわからなかったが、そんな私に校長先生から英語を教えるよう言われた子がいた。
英国人のトレバーだった。
理由は彼の英語は上品で綺麗な発音、成績優秀でボランティア活動にも熱心な優等生だったからだ。

最初は彼が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
そんな私に彼はいつも溜息をついていた。

彼はアメリカ人の校長先生に、私を校長先生の家にホームステイさせる提案をした。校長先生の娘にはトレバーと同い年のアンドレアがいた。
男性のボクよりも、しっかり者で面倒見の良いアンドレアと生活を共にして一緒にいる方が英語の覚えが早いだろうと。
その通りだった。
アンドレアと寝食を共にし、いつの間にか英語が理解できるようになっていた。いつも互いが大好きなDuran Duran の話で盛り上がった。
トレバーとは1日1時間程、一応用意された英語の本を見ながら会話をする、という事だったが、アンドレアのお陰でトレバーの英語もよく理解できるようになり、そしてトレバーが私に対し、どんな気持ちでいるのかも理解できるようになった。

「君とは気が合わない。」

彼はそう言った。

「無理に合わせなくていいわ。それにもう、これだけ話せるようになって、あなたの私に対する気持ちまでよく理解できたのだから、教える理由はないでしょう。今迄親切に教えてくれてありがとう。さようなら。」

私はそう言って立ち去った。

アンドレアに

「私、トレバーに嫌われてたのよ。何となく態度からそうじゃないかと思ってたけど、やっぱりって感じ。」

と言うと、アンドレアは

「彼はいい人なんだけどちょっと気難しいから。気にしないで。私もきっと、彼から好かれてないわ。」

と、慰めてくれた。

そんな中、その年の課題図書が決まった。毎年課題図書が決まるとそれを読み、感想を述べたり演劇までするのが課題だった。転校当初は何が起きているのかすらわからなかったが、皆、課題図書に夢中になり、感想を述べ合い議論が始まる。演劇は皆役になり切り過ぎてちょっと引き気味で観ていた。
やっと私が英語を理解し読み書きできるようになった年の課題図書は「高慢と偏見」だった。

言わずと知れたジェーン・オースティンの名作で、英国人の誇りでもあるらしく、その証に英国で使われている10ポンド紙幣に印刷される程親しまれている文豪だ。
16歳の私はただただ難しい英語の本を読まなければならないという苦行に溜息をついていた。
40年以上も大昔でしたから当然ながらネットもなく、ブラジルは荷物を送って貰っても届かない事がざらだった。日本に住む友人に「高慢と偏見」の日本語の本を送って貰おうとも思ったが、折角英語が上達したのだから、ちゃんと原文のまま読んだ方がいいよと周りから言われ、頑張って読み始めた。

面白かった。

めちゃくちゃ面白くて何と一気に読破した。

読み進める内に私は主人公のエリザベスに惹かれるようになった。
当時の上流中流階級の女性は外に出て働くことをせず、結婚のみが生きる道、それも資産家の男性と結婚することが何よりの幸せに結びつくと信じられていた。あまり話すとネタバレになるのでこの辺でレビューは終わりにするが、私が生まれて初めて頑張って読んだ英語の本がそれだった。
出会って良かった本だった。今でも時折手に取って英語版、日本語版共に懐かしく読んでいる。

さて、読み終えた生徒達は感想を述べ合い劇の配役を決める事となった。

皆、小説に登場するダーシーはトレバーが相応しいと考えた。私も同じ意見だった。相応し過ぎて心の中で大笑いしていた。そんな中、ある子が驚くような事を言い始めた。

「エリザベスはマリアがやってみない?」

「いいわね、マリアも初めて頑張って英語の小説を読めたのだし、エリザベスに深く共感してたみたいだから決定!」

周囲の異様な盛り上がり具合に私は吃驚して

「ちょっと待って、無理よ!エリザベスって主人公だし、私日本人だから」

と大声で抵抗すると、アンドレアは

「人種は関係ないわ。やってみなさいよ。」

と、最後のひと押しをした。

トレバーは無表情だった。

劇なんて小学校の学芸会が最後だったし、いきなりエリザベスを演じるなんて無理だわ、と、先生のところへ行き「私には無理です」と伝えたが、何もTheatro da Paz(平和劇場=私が住んでいた町ではとても大きな劇場)で演じるわけじゃないし、気軽に楽しんでみるといいよ、と、暢気に笑っていた。

冗談じゃないと思った。

絶対にやらない!しかもダーシー役は私を嫌っているトレバー、尚更やりたくない、アンドレアはいいわよ、ジェーン役で、ビングリー役は彼氏のマークだもの。いや、配役がどうこう以前に劇なんて無理。
そうブツブツ文句を言いながらひとり帰宅しようと歩いていたら、突然雲行きが怪しくなり風が強く吹き始めた。
スコールが来る。
そう思い、咄嗟に雨宿りできる場へ走った。
学校から出てすぐのところにある公園のテラスに避難した直後、お決まりの滝のようなスコールが降って来た。
間に合って良かった。
数分待てば止む、毎日の事だった。
雨宿りしているテラスにトレバーがいた。
嫌なヤツに会ったなぁと思いながら「Hi」と挨拶してふとトレバーの腕を見ると、可愛い子猫を抱いていた。

「子猫?」

と訊ねると

「ああ。先月保護した5匹の子猫の中の1匹。」

トレバーはいつものように無表情でそう話した。

「可愛いわね。生後2ヶ月くらいかしら?」

と訊ねると

「よくわかるね?ずっと里親を探していたんだ。中々見つからなくてね。」

そう言って子猫の頭を撫でた。

「そっか、トレバーのお家では家族にできないの?私は今父と二人暮らしで父は殆ど家にいないし、私ももう暫くはアンドレアの家にお世話になる身だからなぁ。」

「ボクの家には犬と猫が1匹ずついるんだ。あと1匹くらいなら家族を増やしてもいいかなと思っているんだけど。」

「犬は小型犬?それとも大型?」

「シェパード。大きくて、家族以外には全くなつかない番犬なんだ。」

「まあ、頼もしい。」

そんな話をしているとスコールが止んだ。

「子猫達はトレバーの家にいるの?」

「そうだよ。」

「猫ちゃん達、早く家族が見つかると良いわね。もし良ければ私、里親探し手伝うわ。」

「え?本当に?」

「勿論よ!今まで一人で探していたの?アンドレアや他の子達にも相談すれば良いのに。」

「ボク、人に頼るのが苦手なんだ。」

「私も人に頼るの苦手だけど、ここは可愛い子猫達の為、どうすれば良い里親さんが見つかるか皆を巻き込んで協力して貰わなきゃ。他の猫ちゃん達はトレバーの家にいるのよね?」

「うん。ボクの家はすぐそこだから、見に来る? あ、君が嫌じゃなければだけど。今母が他の子猫の面倒をみてくれているんだ。」

「お邪魔していいかしら?」

私はトレバーの家へ一緒に向かった。

トレバーの家には大きなシェパードがいた。シェパードが嬉しそうにトレバーを出迎えた。家の中には可愛い白黒ぶち猫さんが。その猫さんに接する姿を見てトレバーは大の動物好きだという事を知った。
学校では見せない優しい表情でシェパードを撫でていた。

「気をつけて、その子は家族以外なつかないから。」

と、振り向いたトレバーは、私がシェパードと仲良くしている姿を見て驚いたようだ。

「怖くないの?変だな、キミになついている。」

子猫を抱きながらトレバーはつぶやいた。

「私ね、動物が大好きなのよ。純粋無垢で裏切らないわ。」

そう言うと

「Indeed(同感だ)。」

と、トレバーは笑いながらシェパードの頭を撫でた。
高慢と偏見の会話にもよく出て来るけど、英国人はよく「Indeed」という言葉を使うんだな、と思った。

トレバーのお母様はとても穏やかで笑顔が素敵な優しい女性だった。

「トレバーがお友達を家に連れて来る事なんて滅多になくて、女の子を連れて来たのはあなたが初めてよ。あなたの事はトレバーからよく聞いているわ。日本から来たマリアよね? この子、いつも無愛想だけど根は優しい子なのよ。」

「母さん、余計な事ペラペラ話すなよ!」

トレバーは恥ずかしそうにお母様の話を遮った。

お母様がお世話をしている可愛い子猫ちゃん達とも対面した。

トレバーは思っていたような嫌な子ではないと知った。トレバーもまた、私の事を誤解していたと気づいたらしい。

「ボクは君を誤解していたようだ。君はボクの事が嫌いなんだろうと思っていた。気が合わないなんて言ってごめん。」

トレバーがそんな事を言った。

「私も同じようにあなたを誤解していたわ。いつもため息をついていたし。私の事が嫌いなんだろうなって。」

「嫌ってなんかいないよ!どうすれば君の英語が上達するか、ボクの教え方に問題があるのだろうとため息をついていたんだ。君こそいつも詰まらなさそうにして会話も弾まなかったし。」

「そうだったの?私はあまりにも英語を覚えられなくて、一生懸命なあなたに申し訳なく思っていたのよ。でも今は動物達の話に会話が弾んでるわね。」

子猫達が私たちの偏見や誤解を解いてくれた。

翌日私は全校生徒や先生に向けて
「みんな聞いて〜!すっごく可愛い子猫達の里親募集中なの!」
と大声でアナウンスした。
そんな大胆な行動にトレバーは驚いていた。
トレバーはトレバーらしく、里親として子猫を迎えるための条件を細かく決め、条件を満たしている家族に里親になって貰えるよう考えた。
トレバーの厳しい条件を満たす愛情深い素敵な里親さんが次々決まり、子猫達はそれぞれのお家に温かく迎えられた。そのうち1匹はトレバーの家の子になった。

トレバーも私もホッとした。

その後、私は劇のエリザベス役を演じる事にした。

トレバーやアンドレア達と劇の練習する事が多くなり、練習後は皆でトレバーの家の子になった可愛い子猫の様子を見に行ったり、楽しい日々が続いた。ジェーン役のアンドレアとは家でも「ジェーン」「リジー」と呼び合いふざけ合いながら楽しく練習した。私が演じるエリザベスの親友、シャーロットは実生活でもとても仲良しな親友、フランス人のフロホンスが演じる事になったのも嬉しかった。
フロホンスとは今も親しい関係が続いていて『星マリアのイーチンオラクルカード』のフランス語訳をチェックをしてくれた。翻訳の際、フランス語の辞書を引いてもどうしてもみつからない単語があり、悩んだ末フロホンスに訊ねたところ「マリアが調べても出てこないのは当然だわ。だってフランス語にその言葉はないのよ。」との回答に驚いた。強いて言うならというフランス語を教えて貰った。語学って面白くて不思議だ。

あんなに嫌だったエリザベス役も楽しく無事演じ切り、皆に喜んで貰えた。

それからすぐ、トレバーが英国へ帰国する事が決まった。

トレバーは帰国の際

「これからもずっと友達でいてくれるよね?」

と、私に握手を求めた。

「勿論ずっと友達よ。」

トレバーにハグをした。

翌年の課題図書はシェイクスピアの「マクベス」だった。
私はエリザベスを熱演したので(笑)翌年は舞台音響や照明係になった。

それから30年程経ち、私はベルギーへ引っ越す事となった。
そのタイミングにFacebookでブラジルのインターナショナルスクールの懐かしい旧友達と次々繋がる事が出来、私がベルギーへ引っ越す事を知ったヨーロッパに住む旧友達と、同窓会が開かれた。
その中にはトレバーもいた。

「君はあの頃の、エリザベスのままだね。全く強い女性だ。」

トレバーは微笑みながらそう言った。

「あなたは、なんだかとても穏やかな雰囲気になったわね。よく笑うようになった。そうだ、キーラ・ナイトレイがエリザベス役の高慢と偏見、観た?」

「観たよ。だけどボク達の劇の方がずっと素晴らしかったさ(笑)」

「Yes, indeed(笑)」

トレバーとは今も家族ぐるみで楽しくお付き合いをしている。

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