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赦すという事

現在、過去、未来という時間軸がありますが、私にとって、過去、昭和の時代は「悲しみ」の時代だったように感じます。

私は幼い頃から両親に愛されている、という実感がありませんでした。
幼い頃は理解できませんでしたが、現在でいう「虐待」を受けていたのです。
躾の範疇を大幅に越える、躾といいますより両親のストレス発散の的となっていたように感じます。詳細は控えさせて頂きますが、祖母や叔母が心配する程のものでした。

大人になり、私も家庭を持ち、家族の素晴らしさ、我が子の愛おしさを思う度、両親は何故、私に辛く当たったのか、益々理解できなくなりました。
考えれば考える程、私の心の中の悲しみは膨れ上がり、憎悪に変わります。このような心の状態は良くないと思い、いつからか両親の事を考えるのをやめるようになりました。

私ももうすぐ53歳になります。両親は80歳になります。
そんな両親と、平成の終わりに再び縁が繋がりました。両親は離婚していますので、別々に縁が繋がったのですが、父とはもう3年程前から、そして母とはつい最近の事です。

父や母から許して欲しい、との手紙が届いた時、私は父や母に会わずにいられなくなりました。二人共、私に辛く当たっていた事を深く詫びていました。
私は個人的に、50代は赦しの時なのかな、と思いました。まだ多少なりとも体力気力も持ち合わせる中、過去を赦し、自分を傷つけた境遇や人を赦す時。
嘗て自分を傷つけた運命は、今の自分を育てる肥やしだった、と、認識出来るのが、50代なのかな、と。「苦しみは得難い財産」、という言葉を耳にしたことがありますが、私はそれをしっかり溜め込んで肥料にし、そのお陰で現在の私に仕上がったのだ、と、思えるようになりました。

私は父も母も赦し、そして現在はとても良い関係にいます。平成最後に母と再び繋がる事ができ、蟠りが消えた事は、丸で呪いが解けたような気持ちになりました。私にとって平成は「赦し」の時代だったように思います。

現在、過去、未来という時間軸のうち、禅には「現在」という時間しかないそうです。過ぎてしまった事にいつまでも執着せず、未来という不確定な物に翻弄されず、「現在」をしっかり生きる事、そうする事で、本当に大切なものを見失う事がなくなります。人生で大切にしなければならない事は、「今」というこの時間の中に宿っているのですね。

今を大切にする為には、過去の負の思い出はすっかり忘れてしまい、許してしまう方が人生を生きやすくするもの、と思います。
年齢的にももう、誰かを恨んだり憎んだり、まして争ったり喧嘩する時間は勿体ないですし、できるだけ穏やかで、心地良い人間関係を送りたいと思いますもの。

過去の嫌な思い出なんて、長い人生の枠の中では、そう大した事ではない、とすら、思えるようになっている自分がいます(^-^) 

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