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私にとって、母は母ではありませんでした。

幼い頃から母に甘えた事もなく、母は私を見る事もありませんでした。

それでも私は必死に母に愛されようと努力しました。

ですが母の日のプレゼントは目の前でゴミ箱に捨てられました。

母の気持ちが知りたくて、タロットカードに訊ねる事の多かった子供時代。

タロットカードは親切に色々教えてくれました。

母には母の事情があって、仕方のない事なのだと、理解していました。

大人になり、私も子供を授かり、子供を育てられる事の素晴らしさを思うと共に、母はこういった喜びを味わえない人だったのだと改めて思いました。

今日は母の日ですね。
今まで母と2時間くらい電話で話していました。
80歳の母の健康状態、必要なものはないかなどを尋ね、今は自粛中だけど、終息したらまた会いに行くね、など。
母は私からの連絡をとても喜びます。
「私を産んで良かった。」
と。
「そう、それは良かった。」
と、私は母に言います。
そうすると、子供の頃母に言われたネガティヴな言葉の記憶は自然に心からスーッと消えて行きます。

昨年、「赦すという事」という記事を書きましたが、今は子供の頃のように、愛されようと必死に努力する必要はなくなりました。

そのままの母を受け入れる事、何を言われても動じない事、そして、いつか母の気が変わればまた、それも受け入れる事、何故、如何して、という事は考えなくなりました。

お母さん、私を産んでくれてありがとう🌹


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