入れ子の子供

反出生主義だから
1.なんで自分は生まれたんだ
じゃなくて
2.何の意味があって子供なんか産んだんだ
みたいな親に向く感情の方が強くて、そういう負の感情を払拭するには
自分が幸せになる(↔︎1に対応)
のではなく
「自分が生まれたことが親にとってこういう意味がある」と納得しなければいけない(↔︎2に対応)

けど、親にとっての自分の出生の意義は相補的なもので、
「自分がいることで産んでよかったと思わせる
ことが、自分にとって必要」
という形態を取ってることが分かった。

個人的な話になるけど、恋愛・結婚に関する選択を何度も間違えたと絶望していた母親が、「せめてあなた(子供(しかも男))がいて良かった」と言ってくれて、(1でなく2の意味で)救われたような気がした
であれば、「親が子供を作る意味なんてなかったのに自分は生まれた」と絶望するのではなく、「親が子供を産んだ意味があったことにするために、自分も歩み寄ろう」という姿勢が正しいはず

つまり、生まれた意味というのは親と子の間で入れ子の構造になっているということだと思う

これはもちろん、親に生きる意味を支配されているのとは違うけど、反出生的な思想から遠い人には理解されないかもしれない

日常的な例にするなら、例えば家族が家事を手伝う時、手伝ってもらった側は、「作業が減って助かったから嬉しい」より、「自分が助けられて嬉しいと思ってることを相手が感じていること」を喜ぶことがあって、幸せの感情も先の生まれた意味の話と同じ構造になってると思う

生まれることは自分の意志なく世界に突然放り込まれることだから、本来生まれた意味なんて求めることは論理的におかしいし、生きてるのも自分を自殺せしめる理由が足りないから慣性で生きてるだけだけど、こうやって言葉で少しでも探して納得しながらじゃないと、生きていけないアー

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