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価値は自分が決めている

数が多い少ないとか
順位とか、
数値化されることが
昔からコンプレックスだった


それだけで判断して、
分別されたり
比較されたり
競わされたり
居場所が無くなったり

私自身、苦い記憶しかなく
数字が発するところのイメージって
強いんだなぁと。



画面から流れてくる情報、
なんでも数値化されているけど

目に見えるものだけが
事実じゃなくて、、


今、そして
これからの時代はもっと

感じること、自分の感覚が
大切になってくる

だから、

たくさん持っているとか
大きい方がいいとか
人より目立つとか
トップを目指す

みたいなところには
価値を感じられなくなってくる時代。



私は、子どもの頃(思春期)
成績があまり良くなくて、
中学では特に劣等感を抱いていた


父にテストや成績表を見せると、
何も言わずその「数字」だけを見て
深刻で険しい表情のまま
しばらく無言の時間だけが流れた


それは、時間が止まったような
とても長い時間に感じられて、
張り詰めたその場所や空気に
私は小さくなって
その場から解放されるのを
ひたすら待った


子ども時代、
父は普段から
私に話しかけるとかはなく
指示や「ダメ」以外
父とのコミュニケーションは
ほとんどなかった

父が何を考えているのかわからず、
ただいつも監視されているような
無言の圧力だけを感じていた


何をするのも
何を買うのも
全ての権限は父
私はただ人形のように
父が決めたことに全て従うことでしか
そこで生活出来なかったし

母の 父に対するストレスや
怒りの矛先は
いつも娘の私に向けられた


同時に母からは、
事あるごとに
同級生たちと比較されて、

自分は何の価値もない人間だと
思うようになっていった

無気力、無価値観と向き合うこと
うん十年

無価値観が承認欲求を生み、

特に自己否定が強かった私は
誰かに認めてもらうために
頑張るようになっていった



いつしか、
心理や見えない世界のこと
スピリチュアルにハマり、
潜在意識について知った


占星術に出会い
夢中になって学び、
仕事にするようにもなって

色んな方々との出会いから
様々な気づきがあった

親との関係性についても
いろんなことがわかってきた




人生これまで
ぐるっと一周体験してきて
やっと


「今ここ」にいることの大切さや 
「全ては繋がっている」
という視点が私に生まれ


本当の自分を生きるという意味で
「すべては自分」
というところに還ってこれた


数字というものが
コンプレックスだったのは、
自分の価値を認められず
私がそこに囚われていたからで。
(そんな自分もゆるしていく)



数字は、わかりやすく
視覚化したもの

それが全てではないし
それが真実でもない



沢山在るもの=価値
でもない


数字は価値を示すものではなく

価値は自分が決めているだけ。


数字や地位が誰かを幸せにする
のでもないんですね




この世の全ては愛
全てはエネルギー

この地球は
エネルギーで繋がり合う世界
だからこそ

自分のやりたいことや
楽しんで出来ることを
最優先してよくて、

そのやりたいことを通して
自分というものを外に表現し、
人に分け与えていくことで
豊かさが循環するんですね


私たちの魂に刻まれるのは、
今世での
地位や名誉、肩書きではなく

現実の体験(見える世界)と
心で感じた感情(見えない世界)
であって、


自分の喜びを外に表現し、
(放つエネルギーで共鳴)
人と繋がり合い
分かち合うことが
大切なんだと思っています


そして、それは
「自分の人生を
楽しんでいるかどうか」

全ては今ここ、
自分の在り方なんですね



私たちの魂は、
地位や数字に
翻弄されるのではなく

この肉体を大切に使って、
本来の自分を生きることを
望んでいるんだと思います


そして

どんな体験も
人間関係も

本来の自分、本来の自分が望む在り方に
気づくためにあって。



それらの体験や
目の前の問題ごとを通して

自分はなにを感じるか
どんな感情になったか(本音)
を丁寧に見つめ
感じてあげることで

純粋な自分を思い出し
本来の自分の在り方へと
シフトしていけるんですね



私は、その全て

生きていくプロセスに
尊さを感じます。






それぞれが
自分の中の真実に気づき、
自分が感じることを
大切にされますように。



𓂃

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