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#74 なぜジャズが好きなのか?

私は、夜中に本を読みながらジャズのレコードを鳴らしていた。ふと、なぜ、ジャズが好きなのだろうか?と思った。そして、私の頭の中には、ある言葉が浮かんできた。「規律と自由」である。

ジャズで言う、「規律」とは、最初のお決まりのメロディーである。みんなが口ずさめるようなもの。演奏の冒頭にあるもので、楽譜になってるものである。そして、ジャズでいう「自由」とは、楽譜にはないメロディーである。即興演奏の部分だ。この部分がジャズの醍醐味であり、アーティストの味が出てくる。メインで演奏する人も順番に変わっていき、全員にスポットライトが当たるようになっている。

そんな構成のジャズは、「規律と自由」が混在している。
これは、私の趣向と一致していると思った。私も「規律と自由」を大切にしている。自分の中である一定のルールを常に設けているし、自由に”遊ぶ”時間も大切にしている。

また、この「規律と自由」は「緊張と緩和」とも言い換えられるのではないだろうか。ジャズ一曲の中でも、盛り上がる部分とゆっくりしている時がある。とりわけ、「緊張」、自由なセッション部分では、メインの楽器が目立ち、「見せ所」となるソロ演奏が入ってくる。セッションが終わり、お決まりのメロディーに戻ると「緩和」部分に戻ってくる。このように、ジャズという中にも、自分の中にも「規律と自由」「緊張と緩和」が存在している。

あるいは、規律の中に自由があると言ってもいいのではないかと思う。事実、ジャズの中には、ある程度のコード進行が決まっており、それに沿ってアドリブも入れていく。決まっている大枠の中で、いかに”遊び”、いかに”魅せる”か。ジャズはそんな”競技”なのかもしれない。現実世界でも、法律や制度といったある程度決まりごとがある中で、パフォーマンスを出し、利益・成果を上げ、”競争”していく。私には元々の資質として「競争性」があるため、そのような”競技・競争”が好きなんだと思う。

最後に、「規律と自由」、「緊張と緩和」という存在や概念自体も気に入っているが、さらに深くまでいけば、「両者の均衡が保たれている状態=バランスが保たれている状態」が好きなのかもしれない。過度にバランスを崩しすぎると自分の中でストッパーがかかり、均衡状態に戻そうという意識になる。また、ジャズは一曲を通して、メロディーからセッションからメロディーに戻ってくるという風に、曲自体のまとまり、バランスが保たれている。

大きく4つほどの視点から、ジャズと私を引き合わせて、ジャズという音楽に惹かれ続けている理由を探ってみた。

今後もジャズについて知見を深めてゆきたい。

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