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カナダワーホリ1年をふりかえって

こんにちは。カナダにて最後のワーホリを終えたMariです。
(※2年目もカナダで生活中)

さて、2021年10月30日、晴れてワーキングホリデー1年を終えることができました。(パチパチパチパチ)今までオーストラリア、イギリス、ニュージーランドと3ヶ国でワーキングホリデーをしてきましたが、パンデミックの真っただ中に生活をスタートさせたカナダ生活は今までとは違う点も多く、なかなか「楽しい」の一言で片づけられるものではありませんでした。

詳しくは他のマガジンや記事(ほぼ週刊日記月刊日記を執筆)を参照いただくとして、今回は1年の総括をざっくりとしていきたいと思います。よろしければお付き合いください。(※ざっくりと言ったものの、気づいたら9500字ほどの小論文ボリュームになってしまいました(笑)。お時間ある時にゆっくり読む事をおすすめします。割とためになることを書いていると思いますゆえ・・・)

他の関連記事はこちら

↑ 今から1年前の隔離時期に書いた記事

↑ 月ごとの出来事をまとめた前編記事

後編については折をみて執筆予定

1.1年を終えての率直な感想

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正直、1年を無事に終え、2年目を迎えられたことにホッとしている。ビザを申請したのは今から遡ること約3年前、2018年冬のことだった。当時の私はイギリスに渡航して半年ほどで、翌年2019年もしくは2020年春ごろカナダに渡航しようと思っていた。結局その後ニュージーランドへ寄り道することになり、パンデミックもあって1年滞在することとなった。実際にカナダに渡航したのは予定よりも半年以上あとの2020年10月となった。

正直2020年3月ごろから渡航するまでの期間は気が気ではなかった。当時は今よりも飛行機の本数も少なく、実際に何度も航空券の変更やキャンセルに見舞われた。不安の強かったあの頃をふりかえって、実際に渡航することができ、なおかつ1年間無事に過ごせたことはありがたいことだ。

例年のワーホリは起承転結といったストーリー性もあり、「冒険した!成長した!」という気持ちが大きいが、今回のカナダワーホリはどちらかというと「2年目以降への土台作り」といった感じだろうか。静かに始まり、静かに幕を閉じた感じだ。

2.実際に渡航してみて

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以前こちらの記事でも触れた通り、年齢的に最後となるワーキングホリデーを利用して、カナダ永住権を取得する前提で渡航した。もし楽しむだけのワーホリを考えていたのであれば、年齢が許す限り渡航時期を遅らせていただろう。(ワーホリビザは取得から渡航するまでの期間が1年以内に定められていることが多い。)

住んでみた率直な感想は、「オーストラリアの方が好き」である。

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理由は色々考えられるが、カナダ(バンクーバー)の気候や物価の高さが自分の求めているものと合っていないことが大きい。1年間の期間限定で楽しむ(通常の)ワーキングホリデーと違い、永住を視野に入れて最初から過ごした私は、住む場所や職業も縛りがあり、自分で自由に選ぶことが難しい。それに加えて今回のパンデミックとその最中での暮らし。これによって行動範囲がさらに制限され、交友関係を広げたり、旅行をしたりということが過去3ヶ国よりも難しかった。

現在、雇用主のサポートによりワークビザを申請して2年目を迎えることができているが、正直カナダに永住するかどうかは現時点では未知数だ。色々と考えることもある。だが、迷っていることに今すぐ答えを出す必要もないので、2年目を過ごしながらおのずと出てくるであろう答えを待とうと思う。

来年の今ごろ何処にいるか分からないが、それはそれでワクワクする。

3.分野別、この1年間での変化

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【お金】

2週間の隔離期間とホリデー期間を除き、週30時間働いた。お給料は私のいるチャイルドケア業界はITなどと違い水準が元々高くないが、家賃がかかっていないため支出は交際費や旅費、医療費が主であった。予想外の出費が多くあったのにもかかわらず、1年間で約57万円貯金できた。(1CAD=90円で計算)もちろん、レストランでサーバーなどすればチップで稼げるが、オーストラリアでサーバーをして自分には合わなかったことや、永住権を視野に入れているのでコロナで市場が不安定な飲食は外して、需要の安定した今の仕事をすることにした。

大きく貯金できたわけではないけれど、いつもワーホリの最後は旅行でパーっと遣ってしまうので、貯金できただけでも良しとしよう(笑)やろうと思えばワーホリ中に仕事を掛け持ちしたり、支出を減らす倹約生活もできたが、7月まで通信大学で学生をしていたし、8月にはバンフ、10月にはバンクーバーアイランドへの旅行ができたのでまぁこんなもんかといった感じ。

【仕事】

目標としていた「ビザサポートをしてくれる雇用主を探す」を無事に達成することができた。2018年、イギリス滞在時に始めたチャイルドケアの仕事はカナダでも需要が大きい。保育園料金が下がるニュースがあったので、今後どうなっていくかは未知数であるが、来年もまだまだ需要があるだろう。

カナダは2021年から2023年までの3年間で、年間40万人以上の移民を受け入れる政策を発表している。これは歴史的にみても稀にみる大判振る舞いのようだ。といっても、誰でも永住権がとれるわけではない。「カナダで1年以上の職歴があること」が最低限の基準になることが多い。そんな今カナダで過ごすことは永住を視野に入れている人にとっては追い風だ。

私はというと、1年間の間に3つの雇用主の元で働いた。(実は短期で小売のバイトもしていたので、それを入れれば4つ)最初の雇用主の元で半年、次が1ヶ月半、そして今の雇用主は10月末で4ヶ月となる。ワーホリと違い、ワークビザの今は原則雇用主を変更できないので、そこがネックだ。今はとてもいい関係を築けているが、お互い何がどう変わるか分からないのがリスクである。そうなったらそうなったでどうするかを考えるのみ。起こってないことを今心配したところで仕方ない。

【学び】

日本で社会人になって在籍していた通信大学を退学し、2年次編入という形で別の短大に入った。日本から送られた教材を片手に学習を続け、4回の試験で必要な単位をとり、入学して9ヶ月ほどで卒業に必要な単位を取得し、無事に卒業することができた。週に30時間労働、そしてワークフロムホーム(というか住込み)だったため学習の負担はそこまで大きくなかった。元々20代の頃に社会人をしながら独学でいくつか資格の勉強をしていたことがあったため、通信学習に慣れていたのもあるだろう。

また、将来の永住権申請に備えて英語試験のCELPIPを受験した。これについては別記事でも書いたので今回は省略する。

【旅行】

本当ならトロントやモントリオール、アメリカへ旅行もしたいところだったが、2021年7月ごろまでは膠着状態が続いた。例年に比べれば旅行は少なかったが、今年は仕事や学業に集中したのでそれはそれでよしとする。

ウィスラーに住んでいた頃、一人で日帰りで温泉に行った。この頃は仕事が上手くいっておらず転職をする前で、精神的に疲弊した私をみてアメリカにいる友人がオンラインバウチャーのプレゼントをくれたのだ。粋なはからいに涙が出た。

8月にはその友人と、カナダで一番行きたかったバンフ国立公園に旅行をし、ブリティッシュコロンビア州の外に旅行することができた。また10月にはフェリーに乗ってビクトリアやトフィーノへ旅行ができた。今一番行きたいのはズバリ日本。ニュージーランドに発って以来2年以上帰国できていないので、来年は必ず一時帰国したいと思っている。

【交友関係】

最初の半年こそ思うように動けなかったが、春の終わりごろから少しずつ人との交流が増えた。カナダは移民が多く、カナダ人だけでなく色んな人と知り合える。ワーホリの後半にはハイキングやSNSを通じて友達が増え、今では毎週のように気軽に会える友達もできた。これがあるかないかは同僚やシェアメイトがいない自分にとってはとても大きい。

2年目も、人との出会いを大切にしていきたい。

【恋愛】

私は通常対面で会って交流を重ねて人を好きになりたいタイプなのだが、コロナで不特定多数と会えない状況だったので、デート相手はもっぱらオンラインアプリで会う人たちだった。国籍は気にしないが、マッチする人はカナダ人が多かった。1回目のデートで合わなくてやめる人もいたし、その後何度か会う人もいたけど、お互いに「この人と長期でお付き合いしたい」と思える人には出会っていない。別に結婚相手を血眼になって探しているわけでもなく(笑)、この国が好きなら自分でビザとるし、好きな人がいたら一緒になればいいというスタンスなので特に残念とも思っていない。

誰かとデートしたいなと思えばデートアプリを使うけど、恋愛したい気分じゃない時には友人づくりに集中したり。1年経った今は、少しスローダウンしたいと思っている。私は性格的に追う恋が好きだけど、追われる恋もいいかなと思う今日この頃。

気づいたのは、アゲイン、「カナダ人よりもオーストラリア人との方が性格が合う」ということだ。これは私オリジナルの表現だろうが、カナダ人の方がオーストラリア人よりも物腰が柔らかい。悪くいえば積極性に欠けて受け身。これはもちろん全員が全員ではないが、少なくとも私が会って話した人たちはそういう人が多かった。地域にもよるが、イギリスもカナダも保守的な人が多いかもしれない。これは政治だけに限った話でなく。そういう意味ではアメリカやオーストラリアよりも日本の風潮と似ているかもしれない。無論、日本よりもずっと多国籍文化だが。

【健康】

最初の冬に風邪を数回ひいた以外は健康に過ごせた。(が、執筆している11月時点で風邪をひいた)どこの国に行っても、その国の菌やウイルスに対しての免疫がないからか重めの風邪をひく。7月には2回目のワクチン接種を終えた。衣食住でいうと私は食にずぼらなのだが、基本的な食事は仕事を通じていただくことが多いので、そのおかげで整ったのかもしれない。夏ごろまでは家でワークアウトを続けていたが、それ以降はサボりがち。たまにZUMBAクラスに行ったりBoot campクラスに参加したりはしたが、定期的ではない。理想は週に3回くらい運動をすること。

メンタルでいうと、落ち込むこともあった。何か出来事があってというよりは、天気だったり自分のホルモンバランスだったり、人と会ったり外で色々と動けないフラストレーションが原因だったと思う。体のケアもそうだけど、見えない分心のケアを大切にするように意識した。無理は禁物だ。

思わぬところでは親知らずの抜歯(2本)と虫歯の治療(2本)、そして根管治療(1本)と出費が重なり、20~30万円の出費があった。オーストラリアやイギリスでも必要にせまられて治療したことはあったが、歯医者の自己負担額は過去最高の出費。海外旅行保険に1年加入していたし、MSP(BC州の保険)にも加入していたが、歯医者はカバーされないのだ。痛い支出ではあるが、本当の痛み(歯痛)に比べたら背に腹は代えられない。

もともとカナダに来る前に日本に帰国して治療してから渡航するつもりだったが、こんな情勢なので帰国せず、ニュージーランドからそのまま渡航することを選んだ。これは今思えば正解だった。コロナ禍でカナダで1年生活できたことを考えたらめっけもんだ。(当時はそう思えなかったが)


【趣味】

noteはほぼ毎週更新してきた。自分の記録にもなるし、あとで振り返って参考になるのでやってよかったと思う。無料だし、家で一人でできるのでブログはおすすめだ。実はブログは10年以上細く長く続けている趣味なのだが、ほぼ毎週記録として書いたのはこの1年が初めてだった。

2020年3月に始めたYouTubeも、相変わらず細く長く続けている。当時はそんな余裕がなかったけど、オーストラリアとイギリス時代もやっていたら面白かったろうなと思う。以前は月に2本くらいは更新していたが、今は月に1本あるかないか。でもお金のためにやっているのでなく、自分が発信したいことがある時に自分のペースでやっているから続けて来れたんだと思う。

日によって家でヨガをしたり、瞑想をしたり。気になるオンラインのセミナーやワークショップに参加したりもした。これといって趣味といえる趣味はないのだが、ずっとやってみたかった「社交ダンスを習う」ができたのは嬉しい。夏には数えるほどではあるがハイキングもした。テニスも数年ぶりにできた。継続している外でできる趣味はこれといってないけれど、これからも自分が興味のあることをやっていきたいと思う。


4.この1年で成長できたことと課題

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まず、パンデミックで先が読めない中で渡航して、目標としていた「仕事を1年間やりきり、次につなげる」が達成できたのはグッド。それに加えて、「通信で短大を卒業する」も予定より3ヶ月前の7月にクリアすることができた。

課題としては、自分の自由時間の使い方。

今までは1つの国でのワーホリが終わっても次の国での冒険が待っていたため、そこにモチベーションがあった。カナダで2年目を迎えた今は永住権以外にこれといって目標がなく、今いちモチベーションが上がらないでいる。

2年目は、仕事以外に興味があることを見つけ、それを深めていけたらと思う。やはり、何か学んでいる時自分が喜んでいる。それは別に学問とは限らず、趣味であってもだ。

また、「お金はまた稼げばいい」と思っているので、基本的には貯金よりも今したい経験に投資をしてきたが、日本に一時帰国もしたいので、収入を増やすか支出を減らすかして貯金を一定のペースでしていくことも課題だろう。

もっと日常の中でワクワクしていたいし、本や映画をもっと観たい。
住環境でいえば引越しをしたい。今の家(ベースメント)に住んで4ヶ月。家賃・光熱費を職場に提供いただいているため無料なのは本当にありがたいのだが、光が届かないのは太陽の光を浴びるのが好きな私にとって辛い。ただでさえ雨が多い冬のバンクーバーだから、せめて住環境はグレードアップしたい。

数ヶ月以内に予定通りワークビザが無事におりたら、日本に一時帰国し、戻ってきたタイミングで探そうかなと思う。まだ具体的には決めていないが、ベースメントではなくて窓から今日の天気が分かる家に住みたい。とりあえず今年いっぱいは今のところに引き続き住むことになりそうだ。


5.印象的な思い出

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・カナダ制作ドラマのエキストラに出演した(セリフなし)
・当時の彼にバレンタインにチョコレートとシャンパンをもらった
・ウィスラーで一時小売業のバイトをした
・マウンテンバイクをした
・英語の本を読破することができた
・友達にインタビューした動画を数本作製した
・12時間のロングハイクに挑戦した
・バンフでかけがえのない1週間を過ごした
・CELPIPの受験
・日帰り温泉

これはありがたいことなのだが、4ヶ国目ともなると「あれもしたい」「これもしたい」という欲がなくなっていく。コロナで無意識に押し込めた部分があったのかもしれないが、やりたいことは過去3ヶ国でだいたいやってきた。今も5年前に海外渡航の一歩を踏み出した自分に感謝している。だから、何かをしても「昔のデジャヴ」に思えてしまい、感動が半減したりすることもある。それは贅沢だが悲しいことでもある。たとえば旅行して素敵な景色をみても、「キレイだけどこれ前に○○で見た景色と似ているなぁ」といった具合にだ。

新しいことに色々挑戦していくと、新しくできることが減っていく。どんどん思いついて実行すればいいのだが、周知の通り、それが容易くない年ではあった。レベルアップの時が来ているのかもしれない。自分が思いもつかない突飛なところに「新しいワクワク」が待っているのかも。2年目は、もっともっと好奇心をもってやってみたかったことにトライしたり、自分の常識を塗り替えていけたらなと思う。


6.ピンチをどう乗り越えるか

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2016年から何度かの一時帰国をしながら、海外生活を4年以上してきたわけだが、嬉しいことがあれば辛い出来事もある。それは外界の見える出来事のこともあるし、自分の心の状態だったりもする。

この1年、嬉しかったことを思い出す時は何かを達成した時ではなく、日常の小さな喜びだった。例えば、友人と久しぶりにZOOMで話して笑顔になった時。雨が続いたあとに晴れ間が見えた時。久々に食べた日本食の美味しさなど。海外生活を通じて、年々自分の幸せの基準が「物質的なもの」からどんどんと「内面世界の幸せ」に移行していっているのを感じる。

反対に悲しいこともある。失恋、孤独、将来への不安、自由でいれないもどかしさ・・・。落ち込んだ時は自分にやさしくすることを学んだ。元々自分に厳しく、ちょっとやそっとじゃ自分を褒めないタイプなのだが、少しずつだが自分にやさしくなることを意識している。職場でも、「相手の期待に応えなくてOK」「6割、7割でいて余力を残す」「何もやりたくない時はとにかく寝る」そんな風に、自分の心地よさにフォーカスをあてて過ごしている。すると、自分のことを少し好きになれるような気がする。ありがたいことに、カナダ(他の国でも)ではそれを受容してくれる土壌がある。

ピンチに陥った時、大抵のことはなんとかなるもんだ。永住できなくても帰れる国があるし、お金がなくなってもまた稼げばいい。失恋したら自分時間を充実させればいいし、目標がなくなったらゆっくり休んで、準備が整ったらまた探せばいい。ピンチにどう対処するかは、自分のことを普段からちゃんと信頼しているかにかかっている。人に政府に何とかしてもらおうとするのではなくて、自分の人生を自分で選択していくこと。これが一番のリスクヘッジだと思う。その時に、「誰かからみて素敵な毎日」ではなく、「誰にうらやましく思ってもらわなくても、自分が心から満たされるか」を基準に選択することが大事だ。自分を本当に信頼して初めて、人のことも頼れるんだと思う。だがこれは「全て自分でやる」のとは違う。

自分を頼るということは、他人を頼らないことではない。矛盾しているように思えるかもしれないが、自分を信じることで初めて人を本当の意味で信頼できる。なんでも自分でやろうとするのは、人を、自分の可能性を信じていないからだ。夢を実現するには、自分以外の力を借りた方が早い。例えば起業するのが目標として、10年かけて資金を蓄えるのも立派だが、今はクラウドファンディングのようなサービスで数ヶ月で資金を調達することだってできる。それによって有益なサービスを世の中に提供する準備が早く整えば、還元できる幸せの量のトータルは増えるだろう。これは一例に過ぎない。

結婚にしても仕事にしても、あくまで過去の「契約」を元に今もその状態でいるわけだが、それがこの先の未来にまで通用するかは別の話。季節も人の心も変わっていくのが自然なのだから、目標が変わるのは自然の摂理にかなっている。一度決めたことを何がなんでもやろうとするのは一見素晴らしいように聞こえるが、それが執着に変わってしまうとネガティブなものになりかねない。ピンチに陥った時は、「何か別の方法はないか」「自分は本当にこれを求めているのか」を探るいい機会だと思っている。

私の例でいっても、カナダ永住権はあくまで幸せになるためのオプションの1つであって、それが実現できなければ幸せになれないかといえばそんなことはない。おひとりさまだから不幸とか、結婚しているから幸せとか、そんな方程式は存在しない。だから、私たちは自分のオーダーメイドの人生を生きていくのだと思う。


おわりに(動画リンクあり)

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海外へ渡航をしたのは今から5年以上前の2016年の春。それまで韓国にしか行ったことのなかった私が、海外にて一人生活を開始しました。あの時は、「英語環境で生活したら英語も上達するだろう」というシンプルで少し浅はかな考えと貯金をもってフィリピン、そしてオーストラリアへ渡航しました。そこから5年という歳月が流れました。まさか私が海外移住を考えるとは微塵も思っていませんでした。当時は周囲に、「1年経ったら日本に帰国して、外資系で英語を使う仕事に就く」という、誰かがどこかで言ったのを借りたような未来予想図を掲げていました。

人生とは面白いもので、直線を描いて進まないんですよね。だから面白い。20数年を東京で過ごした私が5年の海外生活で日本人じゃなくなるかと言ったらそんなことはない。意外に思われることが多いけど、今も英語で悔しい思いをすることはあるし、幼少期を英語圏で過ごせていたらどんなに良かったかと人をうらやましく思うことだってしょっちゅうあります。だけど、私は日本に生まれて、こうして自分の意思で住む場所を選べる時代に生きていることがラッキーだなと思っています。これが江戸・明治時代だったら処刑ものですからね。吉田松陰なんかまさにその口。だから、可能性がある私たちってとてもラッキー。別人になることはできないけど、なりたい自分に近づいていくことはできるから。

自分が日本にいた頃思い描いていた「海外生活=キラキラした日常」とはほど遠く、どこにいたって私は私だし、今日明日でシンデレラになるわけじゃないけど(笑)、それでも昔よりも考え方が柔軟になったと思うし、自分が「常識」だと思っていたことは社会や慣習によって刷り込まれた「ひな型」でしかなかったことにも気づけた。これだけでも海外生活を経験した価値があると思っています。

永住権を検討していていうのもなんだけど、私はどこにいたって幸せになることはできると思っています。だから、日本に帰ることになってもそれはそれでいいと心のどこかで思っている。中には「日本には戻りたくない」という人も多いけど、要は日本でどんな人と毎日を過ごしていくかにかかってるんですよね。海外に行く前と同じような仕事をして同じような人と一緒に過ごしていたら、当たり前だけど同じような人生になっていくでしょう。何が言いたいかというと、海外への永住は自分の住む環境を選んでいく行為に過ぎないということ。日本で幸せに暮らしている人もたくさんいるでしょう。けれども海外に移住することで、東京から沖縄へ移住するのと同じかそれ以上の環境チェンジにつながる。だから海外移住は魅力的なんだろうと思います。

私にとって、海外永住権を取得するということは、気持ち的には「東京の賃貸マンションを借りているけど、沖縄の民家も買っておこう。そしたらそっちにも暮らせるから」程度のものなんです。別に日本人の国籍を捨てるわけでもないし、一生カナダに住むわけでもきっとない。実際に海外生活を経験して分かったのは、海外に暮らすことは思ったよりもハードルが高くないということ。もちろんビザなどの面でクリアすべきことはありますが、人間は慣れの人間なので大抵のことはなんとかなります。

ここまでで文字数が9000文字を超えてますので、そろそろこの辺りでしめたいと思います。2年目はこのnoteを毎週更新するかどうかは未定ですが、引き続き応援していただけると嬉しいです。

長文をここまでお読みいただきましてありがとうございました。noteでコメントできるかはよく分かってないので、感想や執筆依頼、YouTubeコラボの提案などなどはSNSのDMにお寄せくださいね。これを読んだみなさんにとっても何か気づきがあればシェアした甲斐があります。それでは、素敵な1ヶ月をお過ごしください。

2021年11月にアップした、1年ふりかえり動画はこちら

サムネイル1年の記録

2021年11月1日
カナダ(バンクーバー)より

Mari

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