受験生体験記

今日から私は、とりあえず大学生になるようです。本当の大学生活が始まるのがいつになるかは、わからないけど。

これは先生に頼まれて後輩に向けて書いた「合格体験記」を少し改変したものです。受験に捧げた半年間、短いかもしれないけど、すごく長く感じた。

勉強が好きだった私が、なぜ受験生になって病んでしまったのか。インターナショナルスクールからいきなり公立高校に入った変わり者の私が、この年で初めて受験を経験したからこその視点もあると思います。受験を終えて、充電期間も終わりにして、また一歩次に進もう。

受験生体験記

「・・・始め!」一斉に問題用紙をめくる音。ようやく訪れた、その瞬間。
不思議と、全く緊張はしなかった。まあ、相手は紙なのだから、当然といえば当然かもしれない。でも、この時になってようやく、自分の努力を認められたからだ、というような気もする。それまでの受験生としての半年間は、自己否定との長い、長い闘いだった。
 「受験生」と聞いて、あなたはどんな姿を思い浮かべるだろうか。「必勝」のハチマキ。朝5時に目覚め、飯を食べる間も惜しみ机にかじりつく。時計を見上げればもう真夜中。そこに母親が夜食のカップラーメンを持って現れる・・・私はこんな想像をしていた。なんせ、自分自身が受験生と呼ばれるのは初めてのことだったからだ。この志学館高校に入ったのは、今は亡き自己PR入試のおかげ。学校に入るために真面目に勉強するなんて、初めて。しかし実際はといえば、私は全くイメージしていたような受験生活を送っていない。そしてこのイメージが、私を苦しめた。「今、この間に他の人はこんなに勉強しているのに・・・なぜ私にはできないんだろう。」ちょっとボーっとすると、頭の中で「勉強しろ、勉強しろ」という声が鳴り響く。カロリーメ○トのCM、YouTubeの合間に流れる河○塾の広告までもが恨めしかった。何もできなかった一日の夕方は、罪悪感でただただ泣いていた。今思えばかなりの末期症状だ。
 でも私は元々勉強が嫌いではなかった。私は一年のころなんかは暇になったら勉強していたし、二年のころは古典を極めたりもしていた。勉強は捉え方によって楽しくも、苦しくもなる。

 私が本当の「受験勉強」を始めたのは、三年の十一月に入ってからだ。ここで「受験勉強」を定義すると、「大学に受かる可能性を少しでも上げるため、試験で一点でも多く取れるようにする訓練」。普段の勉強と受験勉強の違いもよくわからなかった私が今考えるとこうだ。もちろんスタートは、かなり遅い。推薦入試に落ちて、行きたい大学もよくわからなかったけど、とりあえずセンター試験に狙いを定め、覚悟を決めた。「受験勉強」になって、私の勉強の取り組み方の変化をまとめると主に3つ。

1.「全部」覚える。 

2.苦手科目から逃げない。

3. 過去問を使いまくる。

 12月はセンター対策に全力を注ぎこの3か条を実践した。教科書を隅から隅まで読み、暗記カードを大量に作り、過去問は苦手科目含めて何周も。ここまで放置してあった理科基礎にはフルスパートをかけて、8割ぐらい取れるようになった。放課後は毎日進路資料室にこもって勉強。こう見ると、かなりの努力をしていたことがわかる。

しかし、人から「勉強しろ!」と言われることがすごく嫌だった私のメンタルはこの受験生モードに耐え切れなくなっていた。実際に私にこの言葉をかけた人はほとんどいなかったかもしれない。でも世の中の受験生皆が正月返上で頑張る時期が到来し、あらゆるものから無言の圧を感じるようになった。
「受験生がんばれ!」という応援までも、だ。受験生なのに勉強できていない私は、悪だ。私は、自分の頑張りを認めることができなかった。冒頭で少しお話ししたように、勉強が足りない、足りないと泣いていた私には自信が少しもなかった。いつしか何のために勉強しているのかもわからなくなり、勉強がすごく嫌になった。

 近くだけでも見えるようにしようと、可視化の努力をした。まずは目標&自分をほめるカレンダー作り。A4の紙に1か月分のカレンダーを印刷し、勉強の日割りノルマを細かく書いた。「今日、これだけやればOK」と目で確認できるようになり、得体のしれない雲のような敵と戦っているような不安からは解放された。そして予定にないけど追加でやった勉強は赤字で書き込んだ。赤字が増えれば嬉しかったし、自分の勉強量を褒めることができるようになった。こうしていると他人と自分を比較しすぎていることにも気づいてきた。ネットのオススメ勉強法を見るのは全部やめ、自分にあった方法で頑張ることを決めた。そして、もっと遠くを見るようにした。この時期はついつい大学がゴールに見えてしまう。大学は通過点、と見方も変え、とりあえず志望校もいくつか決めた。なんとかメンタルを持ち直し、センター試験の日にはだいぶ気持ちが楽になっていた。

 センター本番の結果は、ちょうど実力通り。一度結果が出たことで少し自信も芽生え、受験生が少し楽しめるようになってきた。自分なりのサイクルがやっと出来上がってきて、敵がセンターから個別試験に変わっただけだった。

その後、一週間東京に泊まり込みで5校受験する受験旅行も体験し、国公立二次試験も気が付いたら終わっていた。もう残り一日ともなると、できることはほとんど残ってないからか、リラックスして受けることができたし、色んな学校を受けにいくのは結構楽しかった。

私立の滑り止めがいくつか受かって、ホッとして。
でも最難関校はさすがにダメだった。受けてて一番楽しかったのになぁ。

ここから最後の地獄が待っていた。国公立合格発表までの一週間。
正直何も考えられなかったし、考えないようにしていた。中途半端に未来を思い描いて、もし落ちていたら…余計に落ち込んでしまう。
でももう勉強することもないのだ。この半年間勉強しかしてはいけなかったのに。ただ時間が早く過ぎるのを待って、気がついたら頬を涙が伝っている日が続いた。終わって、解放されたはずなのに。
受験とはとことんメンタルに悪いものだ。

卒業式の翌日になって、ようやく合格がわかった。
もう第一志望がなんなのかよくわからなくなっていたから、結局手放しで喜ぶことはなかった。けど安心して、自然と涙が出てきた。

最後まで学校の自習室で一緒に勉強した友達と、お互いの合格がわかった時は本当に嬉しくて、やっと解放された気がした。進路指導室の窓をバンバン叩いて一緒に報告に行ったのは、青春の大事な一ページである。

喜びながら笑顔でお茶を出してくれる先生。
卒業、したんだな。

大好きだった先生が受験中険しい顔をしていて、けんかもした。誰の意見も信じられなくなって一人で悩んだこともあった。そんな時心の支えになった一緒に勉強してきた友達。珍しく毎晩ごはんを作ってくれて私よりも合格を喜んでいた母。いろんなことが走馬灯のように思い出されて胸が熱くなった。

この気持ちになれるのは受験を最後まで頑張った特権かな、と感じた。

半年間、いろんなやりたいことを我慢した。勉強しかしないこととはたしてどっちのほうが今後の人生に活きるか真剣に悩んだ。

この経験が人生を変えたとは思わないけど、一度体験してみてよかった。もう二度とやだけど。

今日から私は、東京外大生です‐

三年間私に向き合ってくれた高校の先生方、受験生になってからも変わらず応援してくれた多くの方々に、心から感謝を述べたい。皆さんに出会えてよかった。

本当に、ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?