なぜ献血ポスターはミラーリングができないのか -男女の性の間にある歪さに着目して-

日本赤十字社のポスターをめぐり、大論争が起きている。わたしも個人的に、件のポスターについては様々なことを感じた。しかし本稿においてはそれについて検討することはやめて(バカほど荒れるため)、今回ポスター自体の賛否は書かない。

その代わり今回は、ポスター論争を受けて再確認をすることとなった「男女の性の間にある歪さ」に目を向けて、検討を行いたいと思う。

ミラーリングというものは造語と思っていたが、どうやら心理学用語らしい。とあるサイトでは、「好意から相手の言葉や行動を真似すること」と説明されている。ジェンダー学では、もっぱら「男女を置き換えることによって、女性の感じている気持ちや問題を分かってもらう」ために用いられているだろう。

今回のポスター論争においても、ミラーリングを行なって男性に問題を感じ取ってもらおうと試みた方が多い。
ミラーリングとして、BLの画像や、股間を強調した男性像、煽情的な表情の男性像など、様々なイラストが提示された。
しかしどうやらポスター援護派にとっては、このような股間を強調されたポスターは全く不快ではなかったようだ。ミラーリングを用いた反論は痛くもかゆくもない結果に終わってしまった。

わたしは女性なので、正直「えっ股間を強調したポスターって男性は嫌じゃないの!?」と思った。個人的に、わたしは巨乳の女性のポスターは不快だったからだ(なぜ不快だったかは今回論じないが)。
だけど、よく考えればそりゃそうである。男女の性の間には、ただいなる歪さがある。わたしが思うに、その歪みのせいによって、男女の性の間に関するミラーリングは成り立たない。

具体的に「なぜ男性は股間を強調したポスターが嫌じゃないのか」自体の答えまでにたどり着けるかは分からないが、ではどのような歪みがあるのか、そこについて少し検討してみたい。

男女の性のイメージ

まずは抽象的にだが、わたしが直感で思いついた、女性の性と男性の性、それぞれのイメージを書き出してみる。

女性の性→後ろめたいもの/無いもの/ホモソ内で茶化されるもの/狙われるもの/
男性の性→誇らしいもの/しょうがないもの/ホモソ内で茶化すもの/正当化されるもの/求められると嬉しいもの

あとは、女性の性は受動態/男性の性は能動態
セックスにおいて、これはほぼ実際的にそうである。

さらには、
女性の性が選ばれる側/男性の性が選ぶ側ではないかと思っている。
これに関しては異論が出そうである。婚活市場では年収が高い男を女どもは虎視眈々と狙っているじゃないか!日本において、男性は悲しいかな選ばれる側である…と。
だけど、本当だろうか。

法律なんかが無かった時代、男性が女性を選ぶのは簡単だったかもしれない。だって私たちの間には、これほどの力の差がある。最悪、物理的な力で押さえつけて、レイプしてしまえば良いのだから。
わたしの専門外な話であるため、もしかしたら、法は無くとも秩序はあって、そんなことをした男性は非難を浴びてグループから排除されていたのかもしれない。だけどそれじゃ、その時代の方がまだマシなのかも。

現在、女性は「経済力と社会的地位の差」によって、選ばれなければ生きていけない状況にある。そんな国がたくさんある。
あとは、やはり今の時代も、物理的な力の差は女性を選ばれる側にする。誘拐婚がその良い例である。

女性は結婚しないと生きていけない。だからインドでは多額のダウリを持参して相手の家に入れてもらうし(そしてダウリが少ないと殺される)、結婚相手として選別の対象に入るためにFGM(女性器切除)を行う。

日本とそのような国を一緒にすべきではないと言われそうである。日本はどうだろうか?
さまざまな政策により、女性の地位は昔に比べて向上しただろう。最低限、女性は一人でも生きていける。だから婚姻しない人が増えたはず。けれども、婚姻しなくても生きていけるかもしれないが、婚姻してしまえば、主に経済力が原因となってもう別れられない。別れたくとも離婚できないということは、結局ある意味、女性たちは男性に一緒にいることを選んでもらわないと生きていけないのである。

女性の性は社会には無い

それでは本題に入る。まず指摘できることが、「女性の性が無い」ということだ。女性にも性欲があり、セックスはするはずなのに、女性の性は社会にとって無いものにされている。いくつかその根拠を提示しよう。

①ソドミー法
ソドミー法とは、同性間を性行為を罰する法律であって、今の時代もアフリカやイスラム圏を中心として残っている。

画像1

ILGAより拝借してきたこのmapの、赤っぽいところや茶っぽい国に、ソドミー法がまだ残っている。

このソドミー法であるが、もちろんゲイ・レズビアンを公平に(?)罰するものが多い。しかし、ゲイの性行為のみを罰し、レズビアンの性行為には適用されないものもある。
なぜだろうか。女尊男卑な私たちに優しい法律なのだろうか。違う、なぜならば、わたしたちの性やセックスなど、男性社会ではどうでもよいものだからである。どうでもよいものを罰する必要などない。たとえ女ごときが2人でセックスをしていようが、男性に何も影響を及ぼすものではないし、脅威ではない。だから、レズビアンのセックスは罰されない。

反駁がありそうなのでこのタイミングで書いておくが、日本にかつてあった強姦罪だって、女尊男卑なものではない。あれは男性による女性のレイプのみを罰し、逆は罰さないものであった。しかし保護法益を考えると、むしろ男尊女卑の思想に根付いた法律であったことが分かる。強姦罪の保護法益が、女性の尊厳や自己決定権では無く「社会的秩序」やそこに関わる「貞操、名誉」であったということはよく言われるが、わたしは「血統」という説を聞き、面白いと思った。血の繋がりがなによりも大切と思われていた当時は、レイプによって女性や妻が血の繋がらない子を産むことが恐れられていた。だから、それぞれの「家」の男性の血筋を守り抜くため、強姦罪は制定されたという。

②誰のための描写であるか
男性はよく、男性の性的に誇張された体を見ると、「ウホッ」「アッー!」などと言って、これは「ゲイ向け」であるとはやし立てる。だけど、女性のためだと感じたことはなさそうである。
一方わたしたちは、女性の性的に誇張された体を見たときに、「レズビアン向けだ!」と思うことはない。ヘテロ男性のための広告なのだなあと思う。
なんでだろう?男性の体も女性の体も、性的なものは全て「(性的指向はどうであれ)男性のもの」なのである。わたしたちにはそう刷り込まれている。

詳しくは、この記事が良かったので、さらなるエビデンスを求めるならば、ぜひ読んでほしい。


③コンビニのエロ本、女性用のものは?
この点についてはわたしは度々指摘しているが、世の中は男性の性欲を満たすためのツールばかりである。コンビニですら買えるエロ本やグラビアアイドルが表紙の本、薬局で買えるテンガ、Webページを開くと飛び出してくる男性向けのエロ広告、街中に堂々と提示されている風俗の看板、ネットの海に漂う違法アップロードのAV…。一方で、女性用のエロ本はなぜコンビニで売ってないのだろう?なぜ女性向けのオナニーグッズは薬局にないのだろう?なぜ女性向け(というか腐女子向け)のエロ広告は、男性向けに比べてゾーニングされて、数も少ないのだろうか?なぜ女性用風俗は圧倒的に少ないのだろうか?
男性は多分、疑問に思ったことはなさそうである。

④リプロライツも無い
これに関しては本当に様々なところで語られているので、詳しくはそれぞれの問題を取り上げたニュースやブログなどに譲る。一応羅列しておくと:
諸外国と比較して、
・女性主体の避妊方法の少なさ
・ピルの普及質の低さ、偏見、導入の遅さ(とそれと比較したバイアグラの導入の速さ)
・ピルへのアクセスの困難さ、高価さ
・中絶の方法の古さ、リスクの高さ、高価さ
・リプロライツにかかる女性への偏見(ピルを悪用するかもしれない、女性は性教育がなっていないなど)
などが指摘されている。社会にとって、如何に女性の性がどうでよいものかが伺える。

⑤見てもらいたい男性、見られたくない女性
統計を見たわけではないのでイメージで申し訳ないが、いわゆる「露出狂」って男系が圧倒的に多くないですか?
男性は身体を見られても構わないことが多く、女性は身体を見られたくない人がほとんどだ。なぜなんだろう。

結論

このような感じで、男女の性の間には途方もなく歪さがある。そのような中、男性がポスターに対する女性の様々な意見を理解するのが困難なのは想像に容易いし、そらミラーリングなんて無理ですわ!

そしてこの歪さは、元来の性欲や本能、DNAに刻み付けられたものといった先天的差異によるものではなく、社会が構築した後天的なものだと思う。

この性の間の歪みが、結局のところ社会にさまざまなジェンダー問題をもたらしているのだろう。
だから、それぞれの問題の解決に着手することも大事ではあるが、土台にあるこの性の間の歪みに着目をすることも、とても大切である。

長い年月をかけて作られた歪みは、そう簡単に是正はされないだろう。だけど、まず歪みの存在に気づくことから始めることが、大事だとわたしは感じる。




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大学院で法学(国際人権法)とジェンダーを学ぶ修士2年生。ジェンダー関連の問題に関し、キーッ!となったときに色々書きなぐる用のnoteです。
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