見出し画像

インドの綺麗な海から見る世界史

インドの海や川と聞くと、ちょっと、いやかなり汚そうなイメージですよね。上下水道のインフラが整備されていない、ゴミ収集システムが確立されていない、路上を清潔に保とうとする人々の意識が低い、といったあたりが原因かなと推察します。

でも実は、インドにも美しい海があります。ゴアというインド屈指の観光都市は「インドの楽園」と形容されるほど綺麗な海岸線が続きます。インドの人も「私たちにはゴアがある。ゴアを知っているか?」といった口調で紹介する、インドの自慢のひとつなのです。

図1

「インドらしくない魅力がたくさんある」と言われるゴアですが、インドらしくない魅力とはいったい何なのか。気になったので調べてみると、歴史的にとても面白い場所でした。

インドの宗教の割合は下記の図の通り、大多数がヒンドゥー教ですがキリスト教も2.3%います。人口が多いので、たった2.3%でも約三千万人もいますね。

図2

綺麗な海岸線を持つゴアにはキリスト教徒が多いのですが、その裏には壮大な歴史が見え隠れします。

西暦1530年、ポルトガルに支配されていたインドの首府がコーチン(現在のケーララ州)からゴアに移され、ポルトガル ー ケープタウン(南アフリカの喜望峰)ー ゴア の航路が出来ました。 

図1

(Concise Indian Historyより拝借。世界史を覗くと我が故郷ケープタウンがよく出てきて興奮~!笑)

ゴアはその後ローマ教会のアジア拠点となり、「東洋のローマ」と呼ばれる黄金期を迎えます。黄金期といっても、それはあくまでヨーロッパから見た風景。実際にはゴアの人々は強制的にキリスト教に改宗させられました。

オランダにちょっかいを出されながらも海洋覇権を死守したポルトガルでしたが、時の流れには逆らえず、1858年にイギリスによるインド帝国の植民地化政策が始まりました。

私はてっきり、この時点で現在のインド・パキスタン全域が英領インド帝国になったと思っていたのですが、実はゴアではポルトガル支配が続きました。そしてついに1947年、インドはイギリスから独立。それでもゴアはポルトガル支配下のままだったのです。

ちょっとわき道に逸れますが、第二次世界大戦で中立国だったポルトガルの影響で、ゴアの港は抑留されていた交戦国民の交換船による交換地となったそう。アフリカのポルトガル領、モザンビークも交換地としての役割を果たしたそうな。(こういうダイナミックな豆知識、好き…)

その後、インド政府は1961年にゴアに武力侵攻し、インドにおけるポルトガルの植民地支配はようやく終結しました。(ポルトガルはNATOに共同防衛を要請したけど叶わなかったようです。そりゃそうだ、もう植民地時代なんて終わってる。)ここに来るまで約430年間。非常に長かったですね。

このような道のりをたどってきたゴア。確かにインドのほかの都市とは一味違った顔を見せてくれそうです。海なし県で育った私は海に強い憧れがあるので、ゴアの海もいつか訪問してみたいです。シーフードも美味しいみたいですし💛

ではでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?