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初めまして。大阪生まれのニューヨーカーです。 【ひょんなことからジャズ歌手に】

けっこうな年齢になってきた。
数字にするとその大きさが恐ろしい。
人生振り返ってみると、若い頃に描いていた未来の私とはだいぶ違うが、
まあまあ毎日楽しく暮らしている。

ひょんなことからジャズ歌手になった。
www.marikoga.com (プロフィールはこちら)

子供の頃から歌が大好きで、
ちゃぶ台のステージでエアマイクを振りかざし、
嫌がる妹を観客に、しょぼいお茶の間コンサートを連日繰り広げていた。

自分も歌いたいと妹がちゃぶ台に上がってこようものなら、
全力で突き飛ばし、ワンマンコンサートを決行する
傲慢な姉でもあった。
(実は妹の方が歌は上手いのだ。)

中学生の時、音楽の先生に
歌が上手いと褒められて調子に乗ってしまい、
ちゃぶ台歌手から卒業すべくアイドル歌手になろうと血迷った。

オーディション番組に応募するものの軒並み落選。
今ならはっきりわかる。
私はアイドルになれるほどの垢抜けたティーンではなかったのだ。

大学生の頃に始めてジャズクラブに行く機会があり、
グラス片手に気だるく歌うジャス歌手の綺麗なお姉さんを見て、
「これだ!」と閃いた。

大好きな歌を歌ってお金がもらえ、
しかも仕事中に酒を飲んでも
誰にも咎められないどころか、むしろかっこいい。

卒業後の仕事はこれしかないと思い、
情報誌でジャスボーカル科の生徒を募集していた音楽教室の門を叩いた。
レッスン用に一曲、ジャズスタンダードを覚えて初回のレッスンに行った。

時はバブル景気真っ盛り。
どこのホテルやクラブもバンドを抱え生演奏を繰り広げていた。

需要が供給を上回り、
10曲くらいしかレパートリーのなかった私も、
そのうちジャズクラブで歌わせてもらえるようになった。

こうしてジャズ歌手古賀マリが誕生した。

そのころは怖いものなしだった。
案外簡単にジャズ歌手になれたので、
もしかして私にはすごい才能があるのかもしれないと思い込み、
また調子に乗り始めた。

アイドルは日本でしか活躍できないが、ジャズは世界が舞台だ。
そうか、日本限定の土俵は私にとっては狭すぎるのだ。
私がアイドルにならなかったのはそういうことか!
(いやいや、ならなかったんじゃなくて、なれなかったんだけど。。。。)

全くどこまでもおめでたい女である。
「汝、舞台は世界じゃ。」という神の声を聞いたような気がしたのだ。
正真正銘、気がしただけなのに、日本を飛び出してしまった。

それからうん10年。
なんだかんだ紆余曲折はあった。
その辺は、また追い追いお話しするとして、
今、私はニューヨークで暮らしている。
来年で、渡米した時の年齢と滞在年数が同じになる。
そして、今だにジャズ歌手でもある。

ジャズ歌手としての活動は、超マイペースだ。
普段は会社員である。
そんな私でも、ありがたいことに、ニューヨークでも名の知れたジャズクラブで演奏する機会もあったりする。

コロナ禍で今までそこにあった日常がストップして一年以上が経つ。
すっかり怠け癖のついた私でも、
さすがに何かしたいと思うようになった。
だったら今までやったことのないことを始めてみようと思いたった。

じゃあ、今時流行りのnoteというもので、
ちょっとエセ文筆家活動でもしてみようかと、閃いた。
もちろん根拠のない閃きである。

何をテーマにとも決めず、日々のちょっとした想いや、
過ぎし日の思い出などを、ここで綴ってみることにする。
有名人でもなければ、文才溢れるわけでもないが、
皆さんにクスッと笑ってもらって、さあ今日も頑張ろうと
思ってもらえるようなお話ができればいいかな。

私のボケ防止の手習いに、
お付き合いいただければ幸いです。
どうぞ皆様、よろしくお願いいたします。

ニューヨークより愛を込めて。
古賀マリ



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