見出し画像

飛行機雲

 青い空に、一筋の飛行機雲が流れていた。
「そろそろ行くわよ」
 母親に言われて振り向いた。両親の離婚のため、俺は母親に連れられて母親の実家に行く。中学進学の時期に合わせて引っ越しするのだ。そこにはあんまり会ったことがない婆ちゃんが住んでいる。
「田中君に挨拶したの?」
「ううん、後で電話する」
「そう」
 俺のつまらなそうな口調に合わせるように、母親も口をとがらせた。田中とは小学校の6年間、ずっと同じクラスだった。一緒に野球したり、サッカーしたり、塾も一緒に通った。
 くだらないこと言い合って、ゲラゲラ笑った。田中は頭が良かったから私立の中学を受験したかったみたいだったけど、家の経済的事情であきらめていた。

 子供なんてつまんないな、と思った。大人の都合に振り回されて。傷つくことだけ人一倍で。
 早く大人になりたい。
 人の痛みがわかる、器のでっかい大人に、俺はなる。

 母親の実家がある駅に着いてから、田中に電話をした。
 田中が出た気配がしたから、
「俺」
 と言うと、
『なんで』
 泣き声みたいな声が返ってきた。一瞬言葉に詰まって、でも言った。
「知らない。大人の事情で」
 気付いたら、俺も泣いていた。ちくしょう。
『俺ら、絶対また会おう』
「おう」
『俺はすでに結構頭いいから、おまえも勉強して』
 普段ならムカつく言葉だが、
「おう」
 素直に相槌を打った。
『すげえ大人になろう』
「おう」

 そんな会話をしたのに、俺と田中はその後、会うことはなかった。
 母親の実家で婆ちゃんと母親と暮らしながら、俺は勉強した。母親が働いていたが、経済的に苦しくて、高校はバイトしながら地元の公立に通った。大学に行きたかったけど、就職してくれって母親に頼まれて、無理だった。

 就職活動をしながら、見上げた空に一筋の飛行機雲が流れていた。田中のことを思い出した。無性に話がしたかった。あれから一度も話していないのに。

 握りしめていた携帯電話から電話した。かけていなくても、田中の番号はずっと記録されていた。
 電話に出たのは知らない男だった。「すみません」と切ろうとすると、
『俺だよ、田中だよ』
 大人になった田中の声がした。
『どうしてんの?』
 聞かれたので、就職活動しているとこたえると、
『勉強した? 約束しただろ』
 大学に進学しないことを責められている気がした。すると田中が、
『俺は勉強したけど、大学は行けないんだ。経済的事情で』
 と言った後、
『でも奨学金とろうと思ってる。やっぱ勉強、もっとしたいから』
 そうか、そういう手もあったかと思ったけれど、俺は無理して大学行くより、母親のためにも働いて、お金を稼ごうと思った。
 気付いたら、俺らは大人になっていた。大人の都合に振り回されない大人になっていた。自分の人生は自分で決められる大人になっていた。
「今度、会おうぜ」
 と言うと田中は、
『おう』
 と言った。久しぶりの会話をした興奮で、裏返った声で。

Copyright(C) MOON VILLAGE. All rights reserved.

ご覧いただき、ありがとうございます!楽しんでいただけたら、スキしてもらえると、テンション上がります♡