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大人の飲みもの

いまどきのお父さんっていうと優しくて家族サービスも欠かさない身近な存在だけど、うちの父は全然そんな感じゃなかった。

酔っ払ってるときお喋りになる以外、普段は無口。食事中の躾にも厳しくて、父がいると軽く緊張した。昭和真っ盛りにはチラホラいたアナログなタイプ。

そんな父のしぐさで印象深く記憶に残っている場面がある。

食事を終えたテーブルには私と父の2人だけ。父は、海苔の佃煮の瓶にスッと手を伸ばす。手早く蓋を開けると中の黒く光った海苔をひとすくいして湯飲みの中へ。注いだばかりのお茶に海苔を溶き、その熱々で真っ黒な液体をゆっくりと味わうのだ。

瓶を開けるしぐさ、海苔をすくう肘の角度、くるくると手早く混ぜる慣れた手付き。「ズズッ、ズズーッ」と響く音。

父は、正面で全てをジッと見つめる私とは一切目を合わすことなく美味しそうに味わっていた。

かっこいい…

幼稚園かそこらだった私は、本気で思っていた。美しく流れるような仕草に見惚れていたのだった。

海苔の佃煮のお茶割り?

今思えばまったく上品と言えない、何ともお里が知れてしまいそうな飲み物や仕草なのだが、当時の私にはとてつもなく美味しそうに素敵に見えたのだ。

勇気を出して「真似してみたい」と父に話しかけると、ようやくこちらを見た父は一瞬考えて首を横に振った。

それから勿体ぶったような、美味しんぼの海原雄山かロバート・デニーロのような態度と口調で

「この飲み物は子供は飲んではいけない。大人になってから」と答えた。

大人しか飲めない!

そうしてそれは私にとって禁断の、憧れの飲み物になったのだった。


大人になって、思い出して飲んでみた。

流れるような動きでコンっと佃煮を湯呑みに入れ、背筋を伸ばし、くるくるっと手早くかき混ぜたら、フゥフゥと時々息をかけて冷ましながら熱々をいただく。

父を真似て。

亡くなった父の仕草を思い出しつつ、この恥ずかしい「大人の飲み物」を一人でこっそりと。

お父さん、美味しいよ。(お行儀悪いしカッコよくもないけど)


ちなみに、母にも「あのお城に泊まってみたい」と言ったとき「大人になってから」と言われたなぁ。


おしまい


 




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