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若だんなに、商人の跡取りらしい顔が出てきた~『いちねんかん しゃばけシリーズ19』(畠中恵)~

しゃばけシリーズの19巻目、1年遅れで読みました。


18巻目の『てんげんつう』も1年遅れで読んだんですよね。図書館で借りて読んでいるもので、予約してずっと待っていると、こうなってしまいます。ちなみに先月、20巻目の『もういちど』が出ているのですが、これまた読むのは1年後かもしれません(^-^;


今巻では、若だんなの両親が九州に湯治に行ってしまい、その留守を若だんなが預かる1年間が、例のごとく連作短編で描かれます。

時を超えていく妖達に囲まれ、日々はゆったり過ぎるように思えていたが、長崎屋でも、時は刻まれていたのだ。

この一節に、にやっとしてしまいました。何せ事件は起きても、ほぼサザエさん状態で十年一日のごとく同じような日々が繰り返され、結果的に成長があまり見られない若だんなの姿が描かれるシリーズなので。


そう、「成長があまり見られない若だんなの姿が描かれる」のが、このシリーズの特徴なのですが、珍しくこの巻ではちょっと成長が見られます。表題作である1本目の「いちねんかん」、そして2本目の「ほうこうにん」では、両親の留守をきちんと預かろうと気負うあまり、ちょっとしくじった若だんなですが、その始末をつけるため、思い切った決断をします。しくじったと言っても、若だんなだけが悪いわけではないとはいえ、その決断は正直甘いなと、読んだ時は思いました。でも最後まで読んだ上で思い返すと、商売人としては真っ当なものだったのかもとも思えました。


3本目の「おにきたる」は疫病の話です。初出は2020年3月21日発売の「小説新潮 2020年4月号」なので、コロナの第一波の最中に発表されたわけです。畠中さんが原稿を書いていた頃、すでにコロナのニュースが出ていたかはさだかではありませんが、畠中さんの別の作品『あしたの華姫』の中の「お華の看病」ほどではないにしても、現実の先取りといえるでしょう。「お華の看病」を書いていた頃から、何となく畠中さんの中では疫病がキーワードだったのでしょうね。


しかし「おにきたる」の中の以下の一節には笑いました。

若だんなは首を傾げた。もしやと思い、自分の薬を飲ませたが、疫病神が逃げて行ったことに、納得出来なかったのだ。「私の飲んでる薬って、何なんだろうね、一体」

本当に、何なんでしょうね、仁吉が処方している薬って。


そして、災いをもたらす神である大禍津日神から、「当方は、商人でございまして」と言って場所代(実際にはお金ではありませんが)を取った若だんなの肝の座りようには、驚きました。4本目の「ともをえる」の以下の言葉通り、実は若だんなは、結構しっかりしているのかもしれません。

「若だんな、兄やさん方がいないと、ぴしりと判断出来ますねぇ。大人びて見えますよ」 長崎屋では、若だんなが何かする前に、兄や達が片付けてしまう。だから、こんな若だんなを見るのは久方ぶりだと、妖達が笑っている。


若だんなに、商人の跡取りらしい顔が、しっかり出てきた1冊でした。


見出し画像には、若だんなの住む離れで大福を焼くシーンにちなみ、豆大福の画像を使わせていただきました。焼いた大福って美味しそうだなーと思いつつ、実践したことはまだありません。


↑文庫版



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