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フェミニストには、叩かれるかも~『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』(阿部智里)~

*この記事は、2020年5月31日のブログの記事を再構成したものです。


ようやく4日前から、横浜市立図書館も部分的に開きました。まだコロナによる閉館前に予約していたものが受け取れるだけですが、6月2日からは予約が再開されます。読みたい本がたまっているので、嬉しいです。


というわけで受け取れた1冊が、この『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』です。初めての外伝、かつ短編集ですが、とても読みやすかったです。意外と阿部智里は、短編向きなのかもしれません。

↑kindle版


ただ、するすると呼んでいるうちに、なんだかため息が出てきました。まぁ本編でも感じていたことではあるのですが、あまりに女性に対する価値観が古すぎます。これを書いているのが男性だったら、絶対フェミニストに叩かれるレベルなのに、女性、しかも若い女性が書いているのだから、ある意味始末に負えない。


平安時代風の世界なので、当然のところながら女性は結婚し、子どもを産むことが求められます。花街もあるし、女性が働ける場面は限られる。そういう世界設定なのだから、それ自体は構いません。


でも登場人物の一人である真赭の薄を、美女でありながら恋愛・結婚から一歩引いた働く女性にしたり、男装して男性と同じように働く落女(この命名もどうかと思いますが)という存在を作ったりして、八咫烏の世界の伝統的価値観、ひいては現代日本にも根強く残る伝統的価値観に挑戦している場面もありました。だから、彼女たちをどう活かしていくのかなと、楽しみにしていたのです。


そうしたらこの短編では、「女は恋愛し、結婚し、子どもを産んで育てるもの。働いても良いけど、そのうち結婚すべき。女を捨てて働き続けると、不幸になる。結婚したら、子どもは必ずもうけなければいけない」というメッセージが、繰り返し繰り返し、うんざりするほどにじみ出てくるのですよ。


別に私は、そういう伝統的な幸せを選ぶ女性を否定する気はありません。でもたとえば、望んでも子どもを得られない女性だっているわけで、違う道を自ら選ぶ、あるいは選ぶことができない女性の存在を、もう少し考えるべきだと思います。


ひょっとしたら阿部智里自身が、周囲からのそういうプレッシャーに苦しんでいるのかもしれません。もしそうなら、だからこそ、そういうプレッシャーをはねのけて自分自身の道を行く女性を書けば良いじゃないですか。浜木綿がそういう存在になるかと思いきや、結局普通にお母さんになってしまいました。真赭の薄はプレッシャーにさらされつつも、一応がんばっているけど、何かあやしい。結も自らの手で稼ぐ道を選んだとはいえ、ふわふわしているところがあります。


さて第2部で女性たちは、どういう道を選んでいくのでしょうか。


↑文庫版




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