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【読書】最適の土~『グリーン・グリーン 新米教師二年目の試練』(あさのあつこ)~

「グリーン・グリーン」シリーズの2冊目です。


1冊目の『グリーン・グリーン』は、久しぶりに読んだあさのあつこの著書でしたが、結構面白く、私があさの作品に持っていた苦手意識が薄らいだので、この2冊目も期待して読み始めました。


しかし読み始めてじきに、前作とは別の意味で、「うわ、やっぱり」と思いました。前作の感想で、私があさの作品を苦手な理由として、「登場人物の名前が凝りすぎで、あざといこと」と、「書き込んでほしいところを書き込まないこと」をあげましたが、今回は苦手な理由その3が大爆発だったのです。それは、作中の時間が行ったり来たりすることです。


行ったり来たりと言っても、タイムトラベルをしているわけではなく、作中の現在進行形の話の中に回想が入ることを言います。もちろん、物事が起きた順にすべてを語れと言っているわけではなく、回想が入ること自体は構いません。でも現在の話の中に、「回想その1」と「回想その2」が入ってきたりするので、何だか頭がぐるぐるしてくるのです。


また、今巻は主人公の真緑とその母をはじめ、親子間の確執が扱われたのですが、ここまでしつこく書き込まなくてもと思いました。書き込んでほしいところは書き込んでほしいですが、親子間の確執に関する執拗ともいえる書き込みには、ちょっと疲れました。


印象に残ったところ。


「教師は生徒にとって最適の土でなければならんのです。とはいえ、生徒たちは百人百様。プリムラもバラもスイートピーもおりますが。それぞれの花を咲かせるわけです」
(中略)
「どんな花にも最適の土壌ってのはありません。けど、良い土ってのは草花を、草花だけやのうて野菜や果樹を育てます。ぼくら教師はその土ですが。合う合わないはあるにしても、精一杯、花を咲かせる土にならんとあきません」

p.40~41(以下、ページ数はハードカバー版)

これ、教員として心したいです。


「このままじゃ、日本の畜産も酪農も窄んでいくばっかですわ。それでええんでしょうかねえ。時代の流れじゃて見過ごしてたら、えらいことになると思いますけどなあ。えらいことになってから慌てても遅いんとちがいますか」
(中略)
喜多川農林に赴任して、今まで自分がどれほど農業に無知だったか思い知った。知ろうとしなかった。関心を寄せようとしなかった。心が向いていなければ、見えない。現実であっても見えない。見るつもりで見たとき、人の眼差しはきっと明度を強くして、ライトのように現実を照らし出すのだ。反対に決意も覚悟も本気もない視線は、何も捉えない。だから全てが闇に沈んでしまう。

p.77

後半は農業はもちろん、格差の問題とか、平和に関することとかにも通じる言葉だと思います。


「もし、知る機会があるなら、知ってもらいたいんです。畜産農家がどんなことをしとるか、豚をどんなふうに飼うとるか、その眼で見てもらいたいんですが。畜産の仕事の真実っちゅうものにちょっとでも触れてみてもらいたいんですがね。先生みたいに豚肉しか知らん人にこそ、肉になる前の豚や仕事を知って欲しいて思うとるんですが」

p.113

真緑が畜産科の教員の小路に言われた言葉ですが、あさのあつこが取材中に、直接ではなくとも託されたメッセージではないでしょうか。今巻では鶏の解体や子豚の去勢の話が書かれていて、正直どちらかのエピソードだけでも充分ではないかと思ったのですが、小説という形で、「畜産の仕事の真実」の一端でも伝えたかったのでしょう。


旬ってのは、命の盛りってことさ。人間の側からだと味だの栄養価だのって、こざかしい見方しかできないけどね。花や野菜からすりゃあ若さの真っただ中、生命の放出エネルギー最大限ってときなんだよ。

p.129

真緑はなぜか、喜多川農林で飼っている3頭の豚のうち二〇一号とだけ話せるのですが、その二〇一号の言葉です。真緑同様、納得してしまいました。


久しぶりにあさの作品を2冊立て続けに読みましたが、最終的にはあさの作品への苦手意識は払拭されませんでした。巻末の既刊紹介に載っていた「Team・HK」シリーズは、ちょっと気になるので、機会があれば読もうかと思いますが、まぁ基本的にやはり、今後あさの作品は原則読まない気がします。ファンの方には申し訳ありませんが、今ひとつ肌に合わない作品を無理に読むのなら、他の作家の本を読みたいので。


見出し画像の菊は、喜多川農林高等学校でもきっと栽培しているであろうということで、選びました。


↑文庫版



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