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noteと書くことの効能

わたしは本を読むのが好きだ。そして、それ以上に文章を書くのが好きだ。

書くことは、自分の考えや意見を明確にすることができるし、思考の整理にもなる。頭の中が整理されると、自分の想いを正確に表現できるようになり、言葉の精度もあがる。

たぶん、この言葉の精度を保つために、日々noteを書いているのだろう。

最近は、疲れが度を越えてくると、頭の中がとっちらかってしまい、自分の想いがどこにあるのか判らなくなる。

日々の出来事をnoteに書くことで、わたしは日々の出来事をどのように解釈しているか、自分の想いがどこにあるのか、客観的に知ることができる。

ひとりの看護師の存在に苛ついている自分がいることに気づく。というか、気づいているけれど、彼女の言動の何がそんなにわたしを苛立たせるのか、歪んだ拘りがnoteの随所に隠されている。

たまに、それをズバッと指摘してくれる人もいて、彼らのコメントを読むと、痛みの後にやってくる爽快感が癖になる。

わたしたちは、他人の書いたnoteを読む。

読んだものすべてが、わたしたちの意識に、血や肉に組み込まれていって、自分の思考や感情をより深く、濃くしてくれる。

だから、わたしは他人の書いたnoteを読むと自分の重みが少し増す気がする。

体重が重たくなった訳ではなく、自分という人間の重みがちょっぴり増して、その分だけ他人への想いが増した気がする。

ただ、疲れた日々を送っていると、他人への想いが目減りしてしまい、プラマイゼロだ。

だから、また書く。

読んでくれる人がいなくても、共感のポチを押してくれる人がいなくても、わたしは自分自身を大切にするために書く。

空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。

自省録より

難しく考えずとも、書けばいい。


イラストは、ugto310さんのものです。