引きこもり体質な日本!?
今という時代、正しい道筋があって、道筋に沿って進んでいけば、何処か行きたい場所に辿り着くという時代でも、世界でもはない。
もしかしたら能天気なわたしは、この世には正しい道筋があって、誠実に、正直に生きてさえいれば、ちゃんと行きたい場所に着くと思い込んでいたのかもしれない。
でも、自分に見えている、自分が知っている世界は狭くて、知らないことだらけだ。
些末な話だが、自分の県がやっている大規模会場のワクチン接種にしても、巷には情報が降りてこない。閉ざされた場所で人材確保が行われて(どうやら医師会が主導のようだ)、看護協会にも情報が来ないと苦笑していた。
まさに、情報を制するものが世界を制する、みたいに聞こえるが、その情報すらも信用に値するかは不明だし、その判断すらも個人に任されていて、翻弄されてしまう。
たまに考えるのがしんどい、というか、面倒くさくなる。
生きていく。
ただそれだけを目的に、日々を暮らしていきたくなる。
朝は、猫のマールがわたしの顔をツンツンと起こしにきたら「おはよう」。
昼は、食べたいものが食べられて、やりたいことがやれて、そんでもってマールの好きなチュールが買える。それだけのお金を稼ぐ。
夜は、マールが浴槽の端っこで見守るなか、時間をかけてぬるめのお風呂に浸かる。気を付けないとマールが浴槽に落っこちそうだ。
スマホで動画をだらだら見てると、マールがこっくりこっくりと船を漕ぎ出す。「よし、寝るとするか!」。
ワイドショーやネットの世界を見ていても、声のデカイ者だけが、多数決で世論の正義を得ているようだ。ほんとうは、正義でも正論でもないものも、声の大きさで正義と化す。どうやら、そんな世間とはそんなもん。
だからといって、そんな世間の声に耳を傾けようともせず、無視していると、罪の意識が薄れるのではないかしら?
ひとりで生きていたら、罪の意識なんて必要ないだろう。でも、わたしは残念ながら人間社会のなかで生きている。
どうしても、いろんな場面に出くわすと、超ハイスピードで頭のなかで妄想が始まる。
「これって世間的には大丈夫?善いことか?それとも悪いことかな?後ろ指さされない?罰せられたりしない?」
なんてことを一気に考えては、とりあえずの答えを出してみる。
「人の噂も七十五日」なんて云われるけど、現代のネット社会ではデジタル刺青の如く、消そうにも消せない。
自分のからだに彫った刺青なら、手術で傷は残るが、刺青とは分からない程度に消せる。わたしが手術室で看護師をしていたときも、若気の至りで刺青を入れた人が、結婚や就職などを機に消したいと望んでやってきた。
手術費用と痛みを我慢さえすれば、物理的な刺青は消せた。でも、デジタル刺青を完全に消すことはほぼ不可能だろう。
世間の噂は七十五日で忘れられても、一度、残されたSNSの書き込みは消えない。なんて恐ろしい時代になったのだろう。
おちおちnoteなんて書いていたら、いつか、痛い目に遭うのかな~。
罪の意識を持つ。善悪の判断ができる。この能力を身に付け、育てるためには、きちんと人間関係のなかで暮らすことが大切だ。
引きこもって、自分の考えだけの世界で生きていたら、罪の意識も必要なく、善悪の判断なんて不要だ。
もしかしたら、政治家ってみんな引きこもり経験者というか、政治の世界そのものが世間から孤立しているのかな?
日本って、まだ鎖国してたのかしら?