「民藝」について

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note第6回のテーマは、「民藝」です。
”MARCHING bldg.がある通りは、鳥取民藝美術館や「たくみ工芸店」が特徴的な民藝館通りです…”と導入部で説明することが多いものの、そもそも「民藝」とは何か。筆者は鳥取に来るまで知らなかったのですが、同物件を通じて触れる機会も多く、興味をひかれたので少しまとめてみました。


民藝

日本民芸協会のHPによると、民藝は以下のように説明されています。

『民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。』

時代が明治から大正と移り変わり、社会には工業化の波が押し寄せ、人々の生活様式は西洋化していくなか、柳宗悦たちは、各地の地方色豊かな手工業が失われることに警鐘を鳴らしました。民衆の暮らしのなかから生まれた「美」の価値を広めるため、柳宗悦たちは、日本民藝美術館の設立、関連書籍の出版、民藝品の調査収集や展覧会など、様々な活動を行いました。

柳宗悦は、自然で健康的な美しさが宿る「民藝品」は、9つの特性を持つとしています。それは、”実用性”、”無銘性”、”複数性”、”廉価性”、”労働性”、”地方性”、”分業性”、”伝統性”、”他力性” です。
つまり、観賞用に作られた有名作家の作品というわけではなく、伝統的製法と熟練した技術を用いた労働により作られた物であって、たくさん生産されて手頃な価格で売られている物。加えて、地理的特性や地域の文化が反映されている物ということになります。そうした民藝品には、陶磁器、織物、染物、木漆工、絵画、金工、石工、竹工、紙工、革工、硝子、彫刻など幅広い品々が含まれます。

柳宗悦たちとも交流があり、この「民藝」の概念に影響を受けた鳥取県の医師がいました。
吉田璋也という人物です。

鳥取民藝と吉田璋也

吉田璋也は、鳥取民藝美術館や「たくみ工芸店」「たくみ割烹」を作った人物で、現在では「鳥取民藝の祖」とも呼ばれています。柳宗悦たちから生まれた「民藝運動」を更に発展させて、「新作民藝運動」を興し、鳥取の民藝品の価値を発掘したり、鳥取県東部の貴重な自然景観や文化財の保護を行うなど、多くの功績を残しました。

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(画像は鳥取民藝美術館HPより)

吉田璋也は1898(明治31)年 鳥取市に生まれ、新潟医学専門学校を卒業して耳鼻咽喉科の医師になりました。幼少期から文学少年だった吉田璋也は、新潟での在学中に文学誌「白樺」を通じて柳宗悦に出会います。その後、京都、奈良で医師として働くかたわら、柳宗悦や河井寛次郎との交友に感化され、民藝品の蒐集や生活用品の特注をするようになりました。

1930(昭和5)年、両親の高齢を理由に帰鳥した吉田璋也は、翌年に吉田医院を開業すると同時に、のちに「新作民藝運動」と呼ばれる活動を始めます。具体的には、牛ノ戸窯を訪れて現代食器の作製を依頼し、完成後には蒐集作品を含めた展示会を開催しました。これを皮切りに、職人に個人作家の指導と手本を与え、さまざまな民藝品を作らせることを繰り返していきました。代表的なものに、牛ノ戸焼の染分組皿、木製電気スタンドや椅子などの洋家具、屑繭で作った「ににぐりネクタイ」などがあります。

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吉田璋也は、その後も鳥取を拠点に、民藝の企画・意匠・生産・流通・販売に携わり、民藝品の販売拠点として「たくみ工芸店」を作りました。軍医として北京に渡り、京都を経て再び鳥取に戻ってからは、「鳥取民藝館」(現・民藝美術館)を設立。市街地の半分以上を焼いた鳥取大火(1952)によって医院を焼失したのち、今度は自らの設計で吉田医院を再建します。院内外の構造や意匠、設備に至るまで、吉田璋也の創意が詰まった吉田医院は、現在まで残っており、一般公開の際には誰でも見学することができます。

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なお、「たくみ工芸店」の隣にある「たくみ割烹」は、『民藝品を使用する機会の最も多い食事の場を利用して、生活して美を味わう』ために作られたものです。同店で食べられる「牛肉のすすぎ鍋」は、「しゃぶしゃぶ」のことなのですが、これは吉田璋也が北京の羊肉鍋に着想を得て日本で開発した”新作”料理でした。

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吉田璋也についてもっと知りたい方はこちら

 

「豊かな暮らし」をつくる

民藝について調べるにあたり、先日初めて吉田医院に入りました。建物全体が木で造られているモダンな建築で、診察室もまったく無機質ではなく、書斎や図書室のようにずっといられる居心地のよさを感じました。木製の診察椅子や手術台、道具置き、屑籠まで、使いやすさを考え抜いた機能的なもので、なおかつデザインは独創的でかっこよく、眺めていて飽きませんでした。

吉田璋也をはじめ、民藝運動をしていた人たちは、家で使う器や家具、普段着る服などを、自分の好みのものに揃えることから始めていました。それがまだ世の中にない物なら、自分たちの手で作ってしまう。いざ完成品が出来上がると、それを良いと思う人が少なからずいて、手にした人たちの生活がちょっとずつ良くなっていく。生活文化運動と聞くと、難しそうな印象ですが、お気に入りのお皿で食べる料理がおいしく感じることや、使い心地のいい道具が日常のふとした動作を楽しくさせるような、そんな気持ちから生まれたものなのではないかと思いました。

MARCHING bldg.住人の田畑さんと筆者(高橋)は、東京から鳥取に移住して、色々な意味でゆとりのある暮らしができています。自分が選んだ好きなまちで、自分が選んだ(あるいは自分で作った)好きなものに囲まれて暮らせるとしたら、それはとても「豊かな暮らし」です。MARCHING bldg.での生活を通じて、そうした楽しい暮らしのことを、今後も発信していけたらいいなと思います。


鳥取の民藝品についてもっと知りたい方はこちら

本稿の参考文献:「吉田璋也の世界」(公益財団法人鳥取民藝美術館)

※文中の『』内は同著に収録された吉田璋也の記述を引用したもの

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現在、鳥取民藝美術館では特別展「柳宗悦との出会いから百年 吉田璋也の民藝 -美の王国を夢見て-」が2021年3月7日まで開催され、吉田医院も今年の11月8日まで特別一般公開中です。遠方の方でも体験できるように、3Dデジタル・ミュージアム・ウォークスルーも公開されています。まだ見たことがないという方は、ぜひ!

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次回は、9月の4連休中に行ったDIYについてレポートします!
10月中旬のオープンに向けて、住人の部屋の壁を自分たちで塗っていきます…!


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