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令和5年の新年のスタートは、
長らく封印していた旅の再開からだった。


自分らしさを取り戻す為に。
今回はしかも一人旅ではなく。
私には珍しいことだったけど、
今までになくのんびりと楽しめた。


西表島

令和4年は自分の為と言うよりは
他の人の為に結構な時間とエネルギーを消費した。
自分らしく生きていなかったと今になっては思う。

そのことに気が付いたのは11月に少し風邪を引いたことがきっかけだった。
極めて頑丈な私がちょっと酷い鼻風邪に悩まされた。
2週間ぐらい。

「あ、わたし、ストレスが処理できないくらいになっている。」

そんなこんなで、軌道修正を大きくすることにした。
それはそれで大きなストレスなのだけれど
自分自身を守るために必要なことなので向き合うことにした。

前置きはこれくらいにして、
昨年末にあることをきっかけに

「ヒトの強さともろさ」について熟考してみた。

この年になり、
人とは違う人生を送っていると様々なことに出くわす。
縁があって出会った人とも自分自身の人生の出会った時期に応じて同じ人であっても違ったように見えるし、感じる。

一時期は信頼関係で結ばれ、
お互いを支え合う関係であったとしても
時が過ぎるとそんな関係性がガラガラと音を立てて崩れていくことも少なく無い。

そんなことが簡単に幾度となく起こるのだ。
その度に心は酷く痛むのだけど。

あるいは、強いと思っていた人が
ある日突然弱くなりガラスのように粉々に割れてしまうのだということも改めて知った。

『強い』
と聞くと
『硬い』とイメージしがちだ。
ダイヤモンドが硬くて強いように。

けれど、『硬い』と言うことが『fragile』であるということも一理ある。
何かのアクシデントがキッカケでヒビ割れたり、欠けたり。
そんなふうに人であっても割れたり、欠けたり。
あまりにも硬くなになりすぎると。

だから、人の強さを考える時、物の強さをイメージするのではなく
人として強くなることを目標にする。

そのために必要なことは
以前にも簡単に書いている
この記事で。

人として強くいるためには
心を強く硬くするのではなくって
起こった出来事や
自分の周りの環境に柔軟に対応できるようになること。

硬いのではなく
柔らかさだ。

身体が硬ければ
思考も固い

そのことが自分自身を追い詰める。

結果、ギリギリまで心を硬く閉ざして防御することに徹したばっかりに
誰かに助けを求めなければもう立っていられない時には
助けてくれる人をも
自分自身の硬く長くなってしまった指先の爪で周りを酷く傷つけてしまうのだ。
そうなると、もう、簡単には近寄れないから、助けてくれる人も近付いてくれない。
本当に、そこから抜け出すのには
たった1人で頑張らなければならなくなってしまう。

そうならないように
心を温かく、柔らかく。

そうすること
そうできるように
子どもたちを
若い未熟な人を導いて欲しいと思う。

それが幸せへの近道なのだから。

全ての生き物、存在するものに
優しく、温かく
それが一番多くの生き物が幸せに生きていける方法なのだ。


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