哲学対話① 「人間はなぜ美を体験するのか」

9月16日に行われた哲学対話では、「人間」という大きなテーマにおいて、「人間はなぜ美を体験するのか」という問いについて議論しました。以前私は「美」という概念は人類の生存に必要不可欠なものだった理由で発展した進化の過程だったと考えていた。古代の人間は周りの厳しい自然界から様々な脅威を感じながら生きることに必死な生活を送っていた中、その脅威から一瞬だけでも解放され、五感を使って「美しい」と思ったものを鑑賞し、ストレス発散を目的としたプロセスとして見なしていた。しかし、現代人はそのような人類の生存を脅かすものには滅多に直面しないため、「美」の意味は変わったのではないかと思っていた。今回の哲学対話では主観的な美や普遍的な美など、種類は幾つか存在するということに気づいた。人間がある景色や作品を鑑賞し、深く共感したり、自分自身の感情にぴったり当てはまった瞬間に「美しい」と思うのではないかという結論に至った。それを聞いて私は納得した。この対話が終わった後、以前はただのストレス対処法だったのが、生きていることを実感することができるから「美」を体験するようになったのではないかと考えるようになった。この問いからさらに頭の中で他の問いが派生し、少しもやもやしたまま対話が終わった気がしたが、これからも私が何かを美しいと感じた時、なぜ美しいと思ったのか、具体的に何・どこが美しいと思ったのか、などの問いを自分に投げかけたいと思う。

この哲学対話をするまではあまり哲学的な問いには触れる機会がなく、自分の考えがはっきりしていなかった。しかし対話の当日、他者の意見や思考回路を聞くことによって自分の意見や思考回路がより明確になり、非常に面白かった。また次回の哲学対話に向けて私の哲学的思考回路をもっと磨きたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?