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テリトリー

写真展したくなってきたので、そろそろ準備したい。準備と言ってもまだ写真も選んでないしプリントもしてないけど。前回はrecord of tokyoという展示をしたけど、次回はテリトリーterritoryという展示をしたい。私がよく撮影しに行ってしまう場所、ということでテリトリーがいいかなって思った。

個性は環境に影響を受けながら形成されていく、ということをなんか知らないけどずっと思ってるし言っていて、私のオリジナルってなんだろうと思ったときに私の周囲を撮影すれば自ずと私の形が浮かび上がってくるのでは、という仮説?のようなものをもとに、ダラダラ撮影している。わざわざどこかに行くのも良いけれど、だらしない人間の私は継続が困難になりそうなので私の身近なものを撮影することにした。こういった判断も全て個性があるのかも、と都合よく解釈している。でもフィルムやカメラ選び一つとってもそう。

『でも、ふりかえれば甘ったるく』という共著エッセイ、私のタイトルは『私の庭』としたけれど一貫して何か言いたいことが私にあるとすれば、私という個性がどんな風に在るのか、みたいなことだけのような気がする。とは言え作品は私ではなくて、私の気分で作られた作品であって、ここに書いている文章も私だけれど、私そのものともまた違う。こう見られたい、みたいな気持ちがあるけど、もしかしたら全然ないような気もする。私と作品は別物だけど、一緒といえば一緒な気もする。でも、ここに書いている時点で、これを読んでいる人より私は未来にいて、だから何かを残すとどんどん私は未来にいるわけだから、ここに書いていることが本心であっても、もうその気持ちは全くないとも言える。自分自身をずっと裏切り続けて期待し続けている。私はいつも5秒後には気持ちが変わってる。

私がよく行く場所は、私よりは変化が遅いから、もう少し私という人間がわかりやすい気がする。地球や人類がどういう進化を遂げていったか、みたいな長い記録の目で見ることができる。5秒後に気分が変わってしまう私を誰も、私自身も掴む事が出来ないんじゃないかなと思う。

などそんなことを考えながら、プリントしたいと思います。

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