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クッキーが一枚あれば

ひとりモソモソと夕飯を食べたあと、お腹はいっぱいなはずなのに、まだ何か食べたい気持ちがある。ご飯はまだ残っているし、納豆か高菜でもう一杯食べてしまおうか…でもそれは食べ過ぎだろう。お腹が減っているのではない、これを口寂しいと言うのだ。真央は30年生きてきて、やっと口寂しい、という感覚を手に入れた。だから、それをどう解消するのかまで分からない。

口寂しい感覚を抱えたままモニターの前で作業を始める。そのうちこの寂しい感覚も薄れていくだろう。フィルムを見返していたら突然ハッ、と思い出した。小さかった女でお土産のクッキーを一枚もらったのだった。カレーの美味しい店に行くと、絶対にオマケで付いてくるスパイスの香りを漂わせている黒い鞄から、一枚クッキーが出てきた。

「この前、旅行行ったからあげるよ」

私はモロッコで買ったグラスをノールックで棚の上から掴み取り(わざわざ棚を見なくても、毎日のことだから手が知っている)、牛乳を注いでモニターの前にあるコースターの上に置き(いつか倒してキーボードや足元にあるプリンターを水浸しにしそう)、個包装されたクッキーを荒々しく破りあけた。FUJI、というクッキーに印字されている文字を見るか見ないかで齧り付く。美味しい。案の定、口の中のすべての水分が持ってかれたので牛乳を飲む。これがまた、美味しい。ドーナツとあんぱんとクッキーは牛乳に限る。mariageをひとしきり楽しむと、覚えたはずの口寂しいという感覚をスッカリ忘れてしまった。多分、私は口寂しい感覚を本当はずっと昔から知っていたと思われる。でも、満たされるたびに記憶喪失になってしまう。

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「クッキーが一枚あれば」満たされているはずなのに口寂しいとき、私はこの言葉を唱えよう。忘れないように付箋に書いてモニターに貼った。

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