現代語の「リズム」によって古典語に命を吹き込むことを考えつつ、古典ギリシア語の「ニューエクスプレス」が待望されることについて

最近『ニューエクスプレスプラス 現代ギリシア語』で発音の練習を始めた。それには明確な目的があった。古典ギリシア語を私は以前に『CDエクスプレス 古典ギリシア語』で勉強したものの、自分の発音にいつまでも確信がもてず、それでその言語に苦手さをいつも感じている。それを何とかしたかった。

『CDエクスプレス 古典ギリシア語』のCDに収録されている音声は、明らかに日本人の男性一人だけによるもので、それを私は不安に思った。いかにも日本風の癖のある発音で、そしていかにも大学で古典を教えている人のような権威的な響きや「誇り」を感じた。それに従うことに私は抵抗を感じている。

だから、『ニューエクスプレスプラス 現代ギリシア語』を三日ほどやって、早くも「正解」だったと思う。何かが見えてきた。良い予感がする。現代ギリシア語で身につけた「リズム」が古典ギリシア語に反映され、命が吹き込まれるはずだ、と期待している。同様のことをヘブライ語についても考えている。

白水社の「ニューエクスプレス」シリーズでは共通してネイティブによる発音が収録されている。そして必ず男性と女性の二人である。それが一貫している。二人のなまりが異なることがあり、その「幅」が勉強にもなる(例えばドイツ語ではRの発音が二人で異なる)。それがこのシリーズの「売り」である。

しかし、古典ギリシア語の「ニューエクスプレス」が出ていないこと、あるいは、古典ギリシア語の音声教材で「いいのが一つもない」ことに、私はずっと不足と不満を感じてきた。ラテン語のは2011年に出ているのに。また現代ギリシア語のも2020年に出たのに、いまだに古典ギリシア語のは出ない。

一般の日本人がアクセスできる有用な音声教材として、古典ギリシア語の「ニューエクスプレス」が待ち望まれている。潜在的な需要はかなりあるはずなのに、なぜいつまで経っても出ないのか。もしや、何らかの「権威」がその背後にあって、自由な出版を阻害しているのではないか、とさえ私は疑っている。

現在の古典ギリシア語をめぐる日本の状況の感じが、今の「ファイナルファンタジー」の状況の嫌な感じと似ている。「クラウド」のようなのが「ファイナルファンタジー」を代表する「顔」として人為的に仕立て上げられ、そういう「つまらない絵」が厚かましくも、そこでは「権威」をもってしまっている。

同様に、現在、多くの日本人が『CDエクスプレス 古典ギリシア語』の日本人男性一人だけの、あの権威的な声を通してしか、古典ギリシア語の発音を習うことができない。この状況が人々を「正しく導かない」と感じる。「貧しさ」を感じる。希望がない。この状況に、なんかものすごく嫌なものを感じる。

今回の現代ギリシア語のことから、「ファイナルファンタジー」の歴史についても何かが見えてきた気がした。「9」ではいわば「古典語」をやろうとした(「原点回帰」)。それになじめなかった者たちが反発して、「現代語だけ」で話す「10」を作ったのだろう。これは両方のプレイを通して想像できた。

そして「ファイナルファンタジー10」のキャラクターたちの居心地の悪い「重さ」は、まさに「ファイナルファンタジー9」の「原点回帰」に起因するのではないか、と直観した。下手に「古典」をやったせいで「重たくなった」。それに対抗して「現代」が「軽く」し、解放する。それが確かに救いになる。

しかし「今の新しいファイナルファンタジー」の問題は、「新しい方」から「古い方」へ「戻っていく回路」がなく、その道が徹底的に断ち切られていることにある。まさにそのゆえに、私は「新しい奴ら」を嫌っている。自分たちのものが絶対的にすぐれているとでも思っているのか。全然そんなことねえぞ。

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