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【EP2 幼少期】苫小牧を出るまで残り9日

 昨日のまえがきに続き、今日からは私の幼少期エピソードを。
ここでは、苫小牧要素は少ないですが、私の核となる価値観や性格に踏み込んでいきます。



 小さい頃の私は感受性が豊かで、感動するとすぐ涙していました。詳細に書かれている記録があったので、公開しちゃいます。

私が4歳の時の出来事を母が母子手帳に書いたもの

 4歳ながらもこの出来事は私の記憶にも鮮明に残っています。当時は、結婚だとか家族愛に感動し、涙する傾向がありました。結婚式ごっこをやろうと繰り返し母や祖父母に強要していた事を覚えています。レースのカーテンを身に纏って、造花の花束を持っていました(笑)すごく嬉しかった記憶があります。これは、叔父(母の弟)の結婚式に触発されたのだと思います。ちなみに私はひとりっ子なので、基本的に母 or 1人で遊んでいました。

 そしてもう1つ。この頃から長けている能力がありました。それは、共感力です。共感力が高まった要因はおそらく以下の2つ。

① 登場人物の感情が大きく動く、心揺さぶられる絵本を沢山読んだ
ー 当時は、「もったいないばあさん」と「おおきな木」がお気に入りの本でした。今思うと、本から得た考え方を選び取って価値観を形成していったのかな思います。その中でも、登場人物の心情に共感したり、想像したりを繰り返したことが共感力に繋がったのでしょう。

② 母の相談に日頃から乗っていた
ー 父は忙しい人だったのでなかなか家におらず、母と2人きりのことが多かったです。そのため、母の相談に乗る事が多く、そのたびに「私が相談に乗らないで誰が母の相談に乗るんだ!」と真剣に回答を考えていました。(母にとっては、小さい私に言ってもよく分かっていないだろうという思いだったのでしょう。これは、ペットに帰宅後「今日こんなことがあってさ~怒」と話しかけるのと同じ感覚なのだと思います。)そのため、かなりdeepで私すら泣きたくなる、抱え込んでしまう相談もありましたが、当時も今も母を責める気持ちは全くありません。

たまに父と遊べるのがしぬほど嬉しかった私

 他には、裏に山がある幼稚園の森遊びクラブに入り、野生児になったり、幼稚園の英会話教室に通ってカナダのキャラ先生と英語の勉強をしていました。(3歳くらいから英語課金されてるのに今全然喋れないのなんでなん。^^

森遊び
英語(お父さんお母さんゴメンナサイ)
当時の将来の夢

 ↑この頃は、将来の夢=想像できる範囲の、名前が付いている職業でした。
周りもそれが当たり前だったかも。お花屋さんとかサッカー選手とか。ちなみに私の幼馴染は、消防車になりたかったようです。(まさかの車…物体か…震


 そんなこんなで意外と幼少期の記憶は覚えてるものなんですね。思い出せるうちに言語化して、落とし込むことができてよかったです。

 こんなところで幼少期編は以上ッッ!!!!

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