いまさら『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に苦しめられている

 というのはですね、Amazonから「あなたへのおすすめ」と称して『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の広告が送られて来たんですよ。

 やめてくれたまえ。
 その記憶の蓋を開けるんじゃない。

 忘れていた感情が再燃してしまったので、新年早々長ったらしい愚痴をこぼします。ネタバレしますのでご注意ください。


 まず、技術面では素晴らしい映画でした。
 3DCGって進化しましたね。あらゆるモノの質感、水のきらめき、主人公の肌に浮かぶ傷跡、風に揺れるビアンカの髪の柔らかさ。すべてが没入感を誘うにじゅうぶんな出来上がりでした。
 そうなんですよ、没入感あったんです、絵的に。
 だからこそ、観ているうちによみがえってしまったんです、冒険の日々が。
 ダメでした、この没入感せいで、あのオチはダメだったんです。

 ドラクエはRPGです。オンラインのスマホゲーではないので、課金でレベルを上げたり、強い装備や仲間を手に入れたりという時短はできません。ひたすら「時間」を消費するゲームです。……いや、レベル上げ作業員を雇っていた課金者もいたようですが、レアケースなのでおいときます。
 そんなドラクエVにはビアンカとフローラ(のちにデボラも)というヒロイン選択システムがあったので、多くの人は何周もしたわけです。いまでもある程度の年齢のゲーマーが集まる酒の席で「誰派?」とか話題にすると戦争になることがあります。それだけ、多くのファンがこのゲームに長い時間を費やし、旅の想い出をこしらえたわけです。
 昔のゲームですから、画面はドット絵ですし、キャラの顔もパッケージや説明書にしかありません。だからこそ余計にのめり込む。ドラクエは伝統として主人公がしゃべらないので、主人公の人格は限りなくプレイヤーに近くなります。没入感がすごいんです。
 フィールドやダンジョンでは思ったよりも強い敵に遭遇してボロボロになり、残りのMPやアイテムを凝視し、頼むから敵よ出ないでくれぇと半泣きになりながら移動する。宝箱を開けたらミミックで泣いたのも、棺桶を引きずって町へと戻り、鍛えて装備を整えリベンジ成功した時の達成感も、ぜんぶ間違いなく自分の感情として記憶している。
 傍から見たら、コントローラーをカチカチカチカチやってるだけでも、脳のメモリには確かに長い長い「冒険の記録」が刻まれていたんです。
 ドラクエは、ゲームは、そういうものでした。

 映画を観ているうちに、プレイヤーだったわたくしはその頃の「冒険の記録」を脳内で反芻し始めておりました。
 亡き父の遺志を継いで勇者を探し、懐かしい人々と再会し、新たな出会いがあり、妻を迎え、子が生まれ、幸せが無惨に破壊され、そしてついに勇者に出会い、最後の敵へと立ち向かう――もうこの辺で完全に過去の自分と同化していました。そうだ、やれ、奴を倒して世界を平和にするのだ!

 で、アレです。
 おい。
 おい。
 おいいいいいいいい!?!?

 もうここで、没入してたドラクエ世界から、現実へと弾き飛ばされてしまいました。
 ……いや、百歩譲って、「実はVRでした」オチでも別にいいんです。
 でもね、でもね、ここで出ちゃったんですよね、「プレイヤー」が。

 お前の物語(ユア・ストーリー)やったんかい。
 わしのとちゃうかったんかい。

 弾き飛ばされて、あっこれ自分はプレイヤー視点で見ればいいのかな? と思った矢先に出ちゃう、うだつのあがらないサラリーマン。
 何一つ情報のないサラリーマン。
 共感できる層が限られているサラリーマン。
 わたくし完全に立ち位置を見失いました。なぁこの映画、どの視点で見たらいいんだい?

 ある意味では、この流れは成功なんです。
 実はVRだった、実は虚構だった、その虚無感を観客も味わわされる。

 でも、プレイヤー出ちゃった。
 サラリーマン出てきちゃった。

 せめて二人称映画だったら、「プレイヤー」が「自分」だったら、まだいけた。だってドラクエってそういうものだから。主人公がしゃべらなくても、ラスボスがぺらぺらしゃべって、流れで戦闘になっても全然かまわなかった。

 でもサラリーマン出てきちゃった。

 ここから「実は現実でストレス抱えてるサラリーマン視点」で進みます。って言われても、そんな簡単にカメラチェンジできない。だってついさっきまで、自分はあの頃の自分だったんです。コントローラーを抱えて冒険にドキドキしていたあの頃の「冒険の記録」を見ているはずだったんです。

 そしてわきあがる恥ずかしさ。
 自分が主人公だと思っていたら、モブですらない、完璧な傍観者だったといういたたまれなさ。
 没入していた深さに比例して恥ずかしい。「えっ、主人公気分だったの? なに勘違いしてたのぉ?w」と言われたような被害妄想すら乗っかってくる。つらい、すごくつらい。気が付けばラスボスがデウス・エクス・マキナよろしく真実をぺらってて、スラりんが突然のエエ声で「私はアンチウィルス」とか言い出して最終兵器がギューンと登場してるけど、もう羞恥心から自尊心を守るモードに入っているので「ハハッ、だせぇ」という冷めた笑いしか漏れない。

 ドラクエは、主人公になる物語なのに。
 私の物語を取り上げられてしまった。
 この恨みどうしてくれようか。
 どうにもできませんけど。

 この映画、製作者サイドは「ゲームは無駄ではない」というメッセージを送りたかったのかもしれません。
 でも、大方のゲーマーは、ドラクエVにはまったような世代のゲーマーは、その葛藤はずっと前に乗り越えているんです。
 町に出れば、老いも若きもスマホでポケモン捕まえてます。
 ゲームが娯楽であり、ストレス解消や安らぎ、コミュニケーションツールなどの役割を果たしていることは、大勢がとっくの昔に知っているんです。
 今更ゲーム側から「ゲームは無駄じゃないんだ」というメッセージを渡されても、「そうなんだよ!」とこぶしを握って同意できるかどうか。私はできかねます。「え、令和にもなってまだそこなの?」という驚きが先に来てしまう。

 もちろん、ゲームが「いい趣味」として認識されていないのは事実です。「時間の無駄」という意見も少なくない。
 でもドラクエV映画でやることないよね?
 そんなメッセージをもらうよりも、ただ主人公が仲間たちと一緒に世界を平和にするところが見たかった。
 それだけでよかったんです……たのむよほんと。

 虚無感を胸に映画館を出る時、「俺はわりとアリ」という声が聞こえました。評価は人それぞれです。アリという意見もアリです。映像はよかったよ……。

 でもAmazon、私にはすすめないでください。勇者ヨシヒコシリーズをアマプラで見てたからすすめたというのなら、それ、ぜんぜん違うからね……?

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