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戦術作戦部では、組織的かつ継続的に戦技・戦法に関する調査研究、また電子戦なども含めて部隊運用する研修を受けているが、標的のパターンが多すぎ、戦術を考えるのも簡単ではない。レポート作成に頭が疲弊していたミサトは、少し休憩しようと冷えたコーヒーを口に運ぶと、幹部室のドアのインターホンから声がした。

「失礼します!」
「葛城さん、海外から荷物が届いています。」

デスクのモニターには小さな箱を持っている、部隊の下士官が映っている。ミサトは部屋のドアを開けた。

「どうぞ、中へ入って」
「…わたし宛で間違い無いのかしら」

ミサトは疑問を投げかける。彼女がドイツのNERV第3支部にいることを知っている者は殆どいない。春に赴任して8ヶ月、今までこんなことは全くなかった。

「ええ、どうやら…日本からのようですね。」

下士官はもう一度宛先を確認して、ミサトに箱を見せた。その箱に貼られたラベルを見て、ミサトの怪訝な表情が崩れ柔らかい顔になる。

「ありがと。」

ミサトは箱を受け取る。ダンボールの箱には『ワレモノ注意』の文字。差出人はRITSUKO AKAGIと書いてあった。ミサトはしばらく会っていなかった友人の名前を見て、微笑んだ。

下士官が退出するのを見届けて中を開けると、ほんのり優しい香りがした。梱包材に包まれていたプレゼントの箱を開けると小瓶が入っている。細かいガラス細工が美しいその瓶には『Eau de côlon lavande』の文字が、流れるような線が鮮やかな筆記体で書かれていた。

「綺麗ね…」

ミサトはしばしその小瓶を見つめた。そして蓋を開けて掌にひと吹きしてみると、今度はふわっとして、ラベンダー特有の少しだけツンとした爽やかな香りがミサトの鼻をくすぐった。

「わ〜いい香り」

プレゼントの箱には『Happy Birthday misato』と書かれたメッセージカードも添えられていた。そこでミサトは今日が自分の誕生日だということを思い出す。あまりの忙しさにすっかり忘れていたのだった。

(あちゃ〜また歳取っちゃったなぁ)

(リツコ…ありがと)

小瓶をデスクのパソコンモニターの横に置いてミサトは久しく会っていない友人を思った。そしてお礼のメールをするべきか、電話を入れるべきか考え、受話器を持ち上げた時にハッとする。

それからもう一度小瓶を手に取って見つめた。

**********

「うわ〜すっごーい」

紫一面に染まったのラベンダー畑にミサトは歓声を上げる。

四季がなくなってから、1年中夏が続くようになった。
暑さには慣れていたはずのミサトと加持ではあったが、その年の夏休みは毎日気温が35度を超える猛暑になった。
二人が暮らすアパートには壊れたエアコンしかなく、唯一の頼みである扇風機が頼りなさげにカラカラ回っていたが、あまりの暑さについに耐えかねた二人は、第2新東京市から少し離れた、山間部にある都市へ避暑も兼ねてドライブに出かけた。

「ねー加持くん、こんな場所よく見つけたね。」
「すっごい良い香りがする〜加持くんも早くおいでよ〜」

加持はラベンダー畑ではしゃぐミサトを見て目を細めた。
思った以上に喜ぶミサト。どうやらラベンダーの匂いが気に入ったらしい。花を摘むハサミをもらうと、普段荒っぽいこともあるミサトが、一本一本丁寧に花を摘んでいた。ただ、ラベンダーテイストのソフトクリームだけはダメだったらしく、加持の胃袋の中に処分されたのだが。

「連れて来てよかった」

加持は心からそう思った。

帰る前に寄った土産屋で、リツコの猫の土産を二人で選んだ後、ミサトはラベンダーの香水のテスターを見つけて自分の手で試す。香水だけでなく、瓶も選べるようで、自分好みにカスタマイズ出来るようだった。

「やっぱり良い香り…」
「う〜ん、買っちゃおうかな」
「瓶もとっても綺麗だし…」

香りと瓶の形で悩んでいるミサトの顔。いつも即決即断、化粧気も色気も皆無の彼女が、珍しいことで悩んでいる。女性の買い物は長いというが、こんな光景はそう見られるものではない。そんな、いつもと違うミサトの顔を見られることが、加持は嬉しかった。

結局ミサトは何種類か試して、気に入った小瓶とオーデコロンを買った。

「また来ような。」

ミサトは加持の声に、屈託のない笑顔で頷く。
手には大切そうに小瓶が握られていた。

「あ…」

顔を上げると無機質な壁に書類と記憶ディスクが散らかったデスクが見える。

(なんで…)

…ラベンダー畑の風景は、彼女にとって遠い昔の恋の記憶。

胸が苦しくなる。

しかしミサトは「リツコからだもん…」と呟き、またレポート作成のために仕事の顔へと戻っていった。

**********

ドイツで迎えた誕生日から7年。

NERV支部や戦自などあちこち転々として来たが、あの時以来ミサトは仕事関係以外の荷物は受け取らないことにしていた。
またプレゼントが届くなど、深く考えすぎなのかもしれない…自惚れているかもしれない…と思いはしたが、自分の思いを断ち切って、必死で終わらせた自分自身の心を乱されたくなかった。

ただあの時届いた香水の空いた瓶は、片付けが苦手な彼女の雑然とした仕事場の、唯一整理されている一角に大切に置かれていた。

再会まであと半年、その恋が再び燃え上がることを彼女はまだ知らない。

Fin.


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