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決意を固めた日。

2024年7月22日。

今、私は人生のどん底だ。

小学2年生から続けてきたサッカーも怪我で出来なくなった。
大学4年生なのに就活も一切やっていない。
支払いに追われて銀行の残高1576円。

2024年7月22日

なぜお金がないのか。それはアルバイトをやっていないから。

大学1年生の時に、家から10分くらいのホームセンターでアルバイトしたけど、自分に合わずたったの一か月で辞めてしまった。

その時はアルバイト先に部活動が忙しくなるので、辞めますって嘘を付いたけど、

辞めた本当の理由は、上の人に対して気を遣うのが疲れる。頑張ってる人も、さぼっている人も同じ時給なことに納得いかない。シンプルにコミュ障と人見知りすぎた。

いわゆる社不だったのだ。

あとどこか心の中で、この仕事はいくらでも代わりが効くから、自分しかできないことをやりたいと思っていた。

本当に傲慢すぎる。

じゃあ、その後何をしてお金を稼いだかというと、UBerの配達員をやった。人と極力話さなくても済むし、自分が働いた分だけお金が入ってくる。最高の職業(バイト?)だった。

今までUBerと母からの仕送りを頼りに生活してたが、大学4年生になって足の大けがをしてしまった。そしてUVERの配達員も出来なくなった。

そこからほぼ毎日病院通い。そして、もっと最悪なことに、自分の怪我が完治するよりも、自分がサッカーを引退する時期の方が先だと医師に言われてしまった。

本当に絶望した。

その日は、家で嗚咽が出来るくらい泣いてしまった。そこには色んな感情が含まれていて、家族に対する申し訳なさだったり、もうピッチに立てない悔しさ、目標は無くなったことでの虚無感。

本当に色んな感情があった。

だから、先程も書いたが自分は怪我でUBerの配達員が出来なくなった。だから、病院に通ったり、ご飯を食べたり、支出だけは増えていくのに、収入はお母さんの仕送りだけ。

2024年7月15日。

この時、申し訳なくて、電話越しに泣いてしまった。

男4人兄弟を共働きで支えてくれた両親。大学まで自分の好きなサッカーを続けさせてくれた。本来ならしっかりと安定した収入を貰って、良い企業に入って両親に恩返しをしないといけないのだろう。

両親は二人とも看護師で、同じような働き方をしてほしかったのかもしれない。でも、自分は就活はしない。好きなことで生きていくと大学4年生が始まる前に、両親に伝えた。

大学サッカーも大学4年で辞めるつもりだったから、最後に両親にかっこいい姿を見せたったし、自分でバイトとかして何か両親にプレゼントでも買ってあげたかった。

しかし、結果的に怪我してサッカーできなくなって、病院の治療代も両親に負担してもらって、挙句の果てに就活もしていない。

今月のクレカの支払いは6万円

横浜銀行は2万5千円。

ゆうちょ銀行からさっきおろしてきた3万円と合わせても足りない。

苦しい。歯がゆい。どうしよう。

でも、大丈夫。もう落ちるとこまで落ちたんだからあとは這い上がるのみ。

毎月クレカの支払いに怯える日々を卒業したい
自分の好きなことで生きていきたい。
両親に恩返ししたい。

1寸先も見えない。


でもこの時期があったからと胸張って言えるように、一生懸命頑張ろう。


お金が無さすぎて、この日の食事はシスコーンだった笑


これも記憶として残しておこう笑

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