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強かな女性

文章を書くことはもちろん好きだけど、エッセイを中心に文章を読むことも好きだ。

先日、こだまさんの『ここは、おしまいの地』という本を読んだ。彼女の半生を独特の表現とともに綴られたエッセイ集。地元の図書館で出会った本だけど、借りて早々あっという間に読み終わった。それだけ夢中になったエッセイとの出会いは久しぶりだったのだ。

彼女は「何もない」ことを逆手にとって、自身の故郷や周りの家族の話を書いていた。「何もない」とは到底思えないほどユーモアに溢れていて、読みながら羨ましく思えた。確かに、私が彼女と同じ状況を経験しなさい、なんて言われたら丁重にお断りするだろうけど。どんな形であれ、彼女の人生の糧となっているのだと考えると、そういう素材を多く持つ彼女に嫉妬してしまう。「面白いじゃん」なんて容易に感想を言うのが申し訳なくなってくる。

他人と自分を比べるのがよくないと分かっていながらつい比べてしまうのは、他人にあって自分にないものが確かに存在するからだろうと思う。もしそれが自分にもあるのだとしたら、錯覚で見えていないだけなのかもしれない。私は彼女の文章から彼女自身が持つ「強かな心」を感じながら、そんなことを思っている。


今は心身の不調で弱々しくなった私だけど、働いていた頃は上司から頻りに「メンタルが強い」と言われていた。子供の頃から心だけは脆いと思って生きてきたので、周りからそう思われているなんて思っていなかったけど。隣のデスクで働いていた年下の先輩にもそう言われたから、心の脆さを隠すのは得意なのかもしれない。

それだけメンタルが強いように見えるのは、弱いと思って舐められたくないから。「この人は何をしても大丈夫」だなんて思われたら、人間不信になりそう。いや、なるに違いない。私だって一人の人間なのだ。私にだって意志くらいある。勘違いしないでほしい。誰に言っているのだろう、私。

私が「強か」と書いているのは、これが精神的な強さを表すから。そういう意味で、私にとっての「強かさ」とは何か。「メンタルが強い」ってどういうことか。それは、「人生と真正面から向き合うこと」だと思う。人生は山あり谷あり。いいこともあれば、よくないこともある。逆境もあるし、波風が全く立たない時もある。それでも自分の人生と向き合い、受け入れ、粛々と生きていく。それが「強かさ」なのだと考えた。『ここは、おしまいの地』の著者であるこだまさんが持つ個性というのは、まさにこれなんだろうなぁと思う。「何もない」なんてこと、ないじゃん。

彼女に嫉妬しすぎるのは、かっこ悪い。私も「強かさ」を備えた大人になれるよう、日々積み重ねていくしかない。

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