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50年前の読書案内

非常事態宣言が出て、いつもより家にいる時間が長くなった。それで、部屋の整理をしていたら、大学時代の古いノートが出てきた。「読書案内1971」という表題が書かれている。紛れもなく私自身の下手な字だ。内容はというと、当時、私が愛読していた小説家を読書案内人にして、これから読むべき本のリストを作ったものらしい。ずいぶん真面目な学生だったんだなと感心したけれど、どうして、学者や批評家じゃなく、現役の日本人作家を案内人にしたんだろうと疑問も湧いた。あまり難しい本は読みたくなかったのか。まあ、それはともかく、読書案内人に大学生の私が選んだのは、次の7人だった。アイウエオ順に書くと、

安部公房
大江健三郎
小田実
北杜夫
小松左京
司馬遼太郎
野坂昭如

ということになる。男性作家ばかり。現在もご健在なのは大江健三郎さんだけ。あとは皆さん鬼籍に入られた。必要ないと思うが、聞くところによると、最近の大学生の中には、文学部の学生なのに、ドストエフスキーを知らない人間がいるらしいので、あえて説明しておくと、安部公房はノーベル文学賞の候補になったこともある作家・劇作家で、カフカを尊敬し、医学部卒の理科系らしい想像力を持って、SF的な小説をたくさん書いた。代表作は「砂の女」。大江健三郎さんは紹介の必要はないだろう。東大在学中のデビューから現在まで、ずっと日本文学のトップランナーだった。中上健次と村上春樹がそれぞれ大江健三郎の一部分を分担して引継いだという評論家がいたが、なるほどと思う。日本人二人目のノーベル文学賞受賞者。代表作はさて何でしょうね。中期の「万延元年のフットボール」かな。

小田実(まこと)は、小説家としてよりも、「べ平連」(「ベトナムに平和を!市民連合」のこと。これが何かを説明すると長くなるので省略。)などの市民運動の指導者としての方が有名だったかもしれない。なにしろ精力的で、書く小説がみんな大長編だったから、評論家が読んでくれなかったという噂が当時あった。この人は、当時仲が悪かった社会党(現在の社民党)と共産党の仲立ちをして、現代の坂本龍馬と司馬遼太郎が呼んだこともあった。東大でギリシャ語を専攻し、フルブライト留学生としてハーバード大学で学んだインテリでもある。私は、高校時代に、この人の留学記「何でも見てやろう」を読んでからすっかり小田実信者になった。でも、その小説はほとんど読まなかった。同時期に愛読した紀行記が「どくとるマンボウ航海記」。その著者が北杜夫。北さんは、高校時代の私の最愛の作家だった。ほとんど全作品を愛読しました。斎藤茂吉の次男で精神科医でもあった北さんは、自身が躁鬱病の患者でもあった。代表作は「楡家の人々」。敬愛するトーマス・マンの「ブッテンブローク家の人々」にならった生家の年代記。

現在の新型コロナ・パンデミックの中で、改めて注目されている小説が「復活の日」だが、著者の小松左京の代表作は、一般的には「日本沈没」ということになるのかな。「SFマガジン」を毎月購読して、すっかりSF少年だったが、アシモフやクラーク、ブラッドベリなどアメリカSFばかり読んでいた、高校時代の私に日本SFの面白さを教えてくれたのが小松左京だった。私の初恋の作品が「日本アパッチ族」。日本SF界最初のベストセラーだ。当時の有名な言葉がある。「星新一が測量し、小松左京がブルドーザーでならした道路を、筒井康隆がスポーツカーで疾走している。」日本SF界第一世代を評したものだ。でも、日本SF界の真の巨人は小松左京だったと私は思う。

次は、司馬遼太郎。司馬さんは、没後何年も経った現在でも、その名を題した新刊書が出ているから、現役の人気作家と呼んでもいいくらいだが、推理小説の世界に「(松本)清張以前、清張以後」という言葉があるなら、歴史小説の世界にも「司馬以前、司馬以後」という言葉があってもおかしくはない。とにかく歴史作家の範疇を超えて、日本の社会や文化に巨大な足跡を残した。例えば、日本人が敬愛する歴史上の人物ナンバーワンである、現在の坂本龍馬像は、ほとんど司馬さんが単独で創造したものである。小松左京も司馬遼太郎も大阪人だ。私は、この両人と同時代の大阪に暮らせたことを今でもとても幸せなことだったと思っている。最後は野坂昭如。黒メガネの作家。焼跡闇市派。かつての五木寛之の盟友。坂口安吾の再来。エロ小説家。その誰も真似できない饒舌文体は、三島由紀夫も認めた才能だった。なんとジブリアニメ「火垂るの墓」の原作者でもある。

以上の7人。この人選が当時の大学生として一般的なものなのか、私の偏った選択なのかはよく分からないが、7人とも、当時の人気作家であったことは間違いない。それにしても、三島由紀夫はこの前年に割腹自殺をしているので、「現役作家」ではなくなったから、このリストに入らなかったのはわかるが、その後の私の読書人生に大きな影響を与えた、丸谷才一の名前がないのは、この頃はまだ丸谷さんと出会っていなかったということなのだろう。丸谷さん以外にも、これ以後の私の人生においては、女性作家を含めて、多くの素晴らしい作家たちとの出会いがあった。その中でも、私とほぼ同世代の村上春樹さんは、作家デビューの時から今日まで一貫して敬愛する作家だ。

作家紹介はこのくらいにする。この「読書案内」は、この7人の作家たちが各々エッセーで言及している作家や本の題名をランダムに書き出して、それを今後の自分のための読書案内にしようとした殊勝ものだったのだが、実をいうと計画倒れになっている。読書案内として機能しなかっただけではなく、そもそも、大江健三郎と司馬遼太郎に関しては、リストアップさえされていなかった。どうやら早い段階で挫折したようだ。でも、残りの5人については一応リストがあるので、実際に5人の作家たちが言及していた作家や本はどういうものだったのを紹介しておくと、以下のようになる。長くなるので、ごく一部だけを抜粋して紹介する。

安部公房
ルナール「博物誌」・ギリシャ神話・ニーチェ「ツァラトゥストラ」・サンテクジュペリ「夜間飛行」・H.G.ウエルズ「透明人間」他・ポーの諸作・カフカ「変身」他・チャペック「山椒魚戦争」・スイフト「ガリバー旅行記」・セルバンテス「ドン・キホーテ」・アポリネール・ダンテ「神曲」・ハックスレイ「猿と本質」・ダール・レーニン・「正法眼蔵」・ブレヒト「三文オペラ」・チェホフ「可愛い女」・福沢諭吉「痩我慢の説」・榎本武揚「渡蘭日記」・ブラッドベリ etc.

小田実
野間宏「わが塔はそこに立つ」・安岡章太郎「アメリカ感情旅行」・都留重人「アメリカ遊学記」・ライシャワー「太平洋の彼岸」・三島由紀夫「美しい星」・永井荷風・ホイットマン・ホメロス・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」・トーマス・ウルフ・サルトル「自由への道」・堀田善衛「広場の孤独」・森有正・プルースト・カミュ・ベケット・丸谷才一「笹まくら」・志賀直哉「暗夜行路」・ジョイス「ユリシーズ」・万葉集・葉隠・高橋和巳・小松左京「日本アパッチ族」・大江健三郎「性的人間」・サリンジャー・中村真一郎「死の影の下に」・ヘンリー・ミラー「北回帰線」・加藤周一・江藤淳「アメリカと私」・柳田國男・シュリーマン・本多勝一「極限の民族」・フォークナー・ナボコフ「ロリータ」 etc.

北杜夫
トーマス・マン「ワイマールのロッテ」「魔の山」・サン=デグジュベリ「星の王子さま」・チャペック「園芸家十二月」・サマセット・モーム・ダーウイン「ビーグル号航海記」・ヒトラー「わが闘争」・エラスムス「痴愚神礼賛」・カント「判断力批判」・H.G.ウエルズ「世界未来記」・ファーブル「昆虫記」・チェスタートン・イソップ物語・日本書紀・アリストテレス・串田孫一「博物誌」・海野十三「火星兵団」・アシモフ「夜来たる」・杉田玄白「解体新書」・ハックスリー「すばらしい新世界」・江戸川乱歩「少年探偵団」・ユゴー「レ・ミゼラブル」・サロヤン「わが名はアラム」・ラディゲ「肉体の悪魔」・E.E.スミス「レンズマンシリーズ」・ブラッドベリ・バローズ「火星シリーズ」・梅棹忠夫・西鶴「好色一代男」・カサノバ「回想録」 ・トインビー etc.

小松左京
安部公房「人間そっくり」・星新一「悪魔の標的」・ダンテ「神曲」・テイヤール・ド・シャルダン・オーウエル「動物農場」「1984年」・トマスモア「ユートピア」・ポー・ネルヴァル・石田英一郎「文化人類学ノート」・ゴーリキー・坂口安吾「風博士」・フォークナー・ロブ・グリエ・レヴィ・ストロース・バラード・筒井康隆・エレンブルグ・ケストラー・シュニッツラー「西欧の没落」 etc.

野坂昭如
谷崎潤一郎「鍵」・吉行淳之介「星と月は天の穴」・丸谷才一「笹まくら」・梶井基次郎・ドストエフスキー「悪霊」・リラダン「未来のイブ」・大西巨人「神聖喜劇」・開高健「青い月曜日」・遠藤周作「海と毒薬」・永六輔「芸人その世界」・永井荷風「あめりか物語」・太宰治・大杉栄・嘉村磯多・バルザック「従姉妹ベット」・大江健三郎「個人的な体験」・「きけわだつみの声」・サルトル「嘔吐」 etc.

 ごく一部を書き起こしただけだが、それでもかなり多彩で膨大なリストになっている。昔の作家はそれだけ読書家が多かったという事だろうか。さて、上記のリストの中で、その後私が実際に読んだ本はどれだけあったか、それは書かないでおきましょう。

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