見出し画像

「世界の名著」を読む ① ニーチェから始まる

 1966年(昭和41年)1月、中央公論社が、ワインレッドの格調高いデザインの堅牢な函入り思想全集の配本を開始した。全66巻の「世界の名著」である。すでに「日本の文学」「世界の文学」によって、文学全集の出版において大成功を収めていた中央公論社ではあるが、大規模な思想全集の出版はまさに社運をかけた冒険だった。

なんて書いてみたが、実際はどうだったのか知らない。1966年といえば、ベトナムで戦争が続き、ビートルズが初めて来日し、中国では文化大革命が起こっていた年だ。私は、その年の4月に高校生になった。つまり、「世界の名著」の第1回の配本があった時点ではまだ中学生だったわけだ。無事に志望の高校に入学できた私は、たぶん、この本を入学祝いとして初版本で買った。というのは、この全集が配本を開始する前に、その宣伝パンフレットを読んで触発されたからだった。梅棹忠夫さんが、「将来、知識人として立つには、高校大学の7年間に全巻読むべし。」と書いていた。そう、当時の私は、将来、知識人として立つつもりでいたわけだ。まんまと宣伝文句に乗せられた。で、当たり前と言えば当たり前だが、結局、全巻読むことはなかった。その代り、後に古本で買ったものも含めて、最終的に66巻全てを集めた。それらは、今も私の書棚に並んでいる。でも、いつか全巻読もうという決意は、もう遠い過去のものになった。

10年程前に定年退職した時、私はまたも決意した。長い長い(であろう)定年後の時間に、ぜひ、「世界の名著」を、全巻でなくてもいいから、読もうと。でも、やっぱりダメでした。ついつい、小説やエッセー、紀行文などの軽いものを読んでしまう。で、そんな風に自身の意志の弱さを嘆いている時に、良い本に巡り合いました。千葉雅也さんの「勉強の哲学」。千葉さんは私の息子のような年齢だが、師とする相手に長幼の区別はない。千葉さんはこの本の中で、ピエール・バイヤールの「読んでいない本について堂々と語る方法」を紹介して、

拾い読みは十分に読書だし、目次だけ把握するのでも読書、さらには、タイトルを見ただけだって何かしらのことは「語る」ことができる。と書いてくれていました。さらに、勉強はいつでも始められるし、いつ中断してもいい、と。

ホッとしましたね。肩から力が抜けた。というわけで、人生の宿題のようになった「世界の名著」を、これから少しずつ読んでいくことにした。パンデミックによる外出自粛が続く今日、まさに三度目の決意であります。まず手に取ったのは、記念すべき第一回配本の「ニーチェ」。さすがにこれは高校生の私も真面目に読みました。今、見返してみると、あちこちに傍線がひいてある。責任編集は手塚富雄さん。当時の独文学者の世界のトップ。確か、東大教授になる前に旧制松本高校で教えていて、北杜夫さんや辻邦生さんの先生だった。その手塚先生がニーチェについての解説を書き、「ツアラトウストラ」を訳されている。同時に収録されている「悲劇の誕生」を訳しているのは、弟子の西尾幹二さんだった。もちろん、当時の私は、後に西尾幹二さんが保守知識人の大物になるとは想像もしていなかった。それにしても、この二作だけでニーチェを代表するのは無理がある。それがわかる程度には私も成長したわけだが、当時、高校生の私は、一生懸命背伸びして、新しい知の世界への玄関として、この「ニーチェ」の巻をむさぼり読んだ。そのことは今でもよく覚えている。

久しぶりにこの「ニーチェ」を手に取って驚いたのは、付録の月報に、手塚富雄さんと三島由紀夫の対談が載っていたことだった。読んでみると、なかなか面白い。三島のワーグナー好きは有名だったから、ワーグナーの話題が出るのは当然として、ニーチェの詩と哲学が融合した散文の例として、和辻哲郎の「風土」を出したり、小林秀雄の文章こそニーチェ的だと言っているのが、いかにも三島らしい鋭さだと思った。若き日の三島は、ニーチェを愛読したという。でも、文体の影響を受けたわけではなかった。

そのニーチェだが、この思想全集のトップバッターに選ばれるには、それだけの理由があった。現代哲学の基礎は、マルクス、フロイト、ニーチェの三人が築いたと言われる。その後、世界の哲学界を席巻したフランスの現代思想、フーコーやドウルーズやデリダなどのポストモダンの思想はニーチェから出発したのだ。ニーチェは偉大だ。ところが、最近読んだ本が、私のそんな生半可な知識を揺るがした。あれ?その震源はマルクス・ガブリエル。現代哲学のスターと言われるドイツの若き哲学者だ。彼のベストセラー「なぜ世界は存在しないのか」という本は読んでいたが、最近、斎藤幸平さんとのインタビュー集「未来への大分岐」を読んだら、彼のこんな発言があった。彼は現在のトランプ大統領に象徴される「ポスト真実」の状況をもたらしたのは、何ごとも相対化するポストモダン思想だと批判して、

これはニーチェ主義なんです、人々は冷笑的なニーチェ主義者になっている。ニーチェこそが、ポストモダニズムを打ち立てた人物です。でも、彼がナチスのお気に入りの哲学者だったということをけっして忘れてはなりません!

と言っている。だから彼は、ニーチェとハイデガーに影響を受けた(ポストモダンの)古い理論を捨て、新しいスタートをきるためにリセットボタンを押そうという。それが、彼の「新実在論」の呼びかけなんだと。さてさて、私の「世界の名著」を読む旅は、その冒頭から波乱に満ちたものになりました。うん、おもしろい!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?