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真実のために、間違った親を泣きながら手にかけた。~宮迫博之・田村亮の歴史的な会見~ メディアは集団自決した。

正直に言おう、なめていた というかバカにしていた。

アメトーークもロンハーも好きで見ているくせに、今回の闇営業のあと真実から逃げ、雲隠れした(ように見えた)2人はとても醜く映っていた。

だから、嘲り嗤う気持ちで叩くつもりで会見を最初から見ていた。

2時間半たった今。無性に書きたくなって書いている。

僕は大学時代、メディア関係の学部にいた。

実際は途中から異なることをメインにしてしまったので、メディアについて突き詰めて勉強したわけではないが、そんな僕からみて今回のはメディア史に残る会見になった。

冒頭、1人目の記者の質問に対して、宮迫は30分ほど話した。

正直何を言っているのだか、何を言いたいのだか全くわからなかった。

今思えば、宮迫はそれを話すタイミングを待っていた。最初の記者の質問なんてどうでもよかった。それはトリガーにすぎなかった。

いつもアメトーークで軽快に喋り、上手く喋れない若手をバカにしている宮迫ではなく、誰よりも緊張して何かに怯え、訳の分からないことを重々しく喋る宮迫がそこにはいた。

宮迫は言った。圧力を受けたと。「全員クビにするぞ」と「テープで録音してないよな」と社長に脅されたと。

パワハラを超えた脅迫である。芸能界だから、吉本だから許される?

いや、異常だ。若手は200円しかもらえず、契約書も存在しない。

圧倒的な社員数を誇り、芸能界に長きにわたり君臨しながら、吉本興業という会社は、ブラック中のブラックだ。

宮迫と田村亮は、そんな中で勝ち上がってきたひと握りの選ばれた人間だ。

だからこそ、こうやって矢面に立つことになったのだろう。

宮迫の、田村亮の涙ながらの訴えは、世論を大きく変えた。

あれ、なんか思っているのと違うぞ。みんな気づき始めていた。

「親だったら正しいことをしようとする子供を止めないでしょ」という田村亮の言葉はすべてを表している。

宮迫にとって、田村亮にとって吉本は自分を育ててくれた親なのだ。

だからこそ、悲しいのだ。だからこそ辛いのだ。

2人は間違ったことをした、隠蔽して圧力をかけた親を手にかけた。

普通なら言わないだろう、普通なら言えないだろう。

でも、彼ら2人は違った。

遅くなったが、前提として、2人がやったことは悪である。

確かに、宮迫が言うように、自分たちが嘘をつかなければこんなことにはそもそもならなかったかもしれない。

ただ、嘘をつかせたのもまた吉本興業なのではないか。

本音を言えば、宮迫の記憶にないで逃れたり、引退するのかしないのかハッキリしていない態度は、謝罪会見としては、問題があったように思う。

しかしながら、今回のは謝罪会見というよりは暴露会見になったわけだから、

そういう意味で言えば、彼らは満点に近い会見をした。

何故、ここまでの暴露ができたのか。

それは単純だ。

言い方はとても悪いが、2人がバカだからだ。

本当にバカだ。

バカだから、2人で決めたたった1つのルールを彼らは守り続けた。

「真実しか話さない」

真実はときに凶器になりえる。正しいことがいつも良いことではない。

僕は刑事ドラマの相棒が大好きだが、主人公の杉下右京は時に己の正義を暴走させる。

それが彼が所属する組織にとって都合の悪いことであったとしても、彼は正義を優先する。

けれども現実は、そんなことはできない。そんな風にはいかない。

いや普通の人にはこんなことはできない。

バカでなければこんなことはできない。

2人は一貫して、憶測で話すことを避けた。ただ事実だけを、真実だけを伝えようとした。

そのために、2人がとてもバカに見えた。

もっとうまい立ち振る舞いができるだろ、僕は何度もそうおもった。

吉本に圧力をかけられた、ともっとハッキリと言ってしまえば、

被害者になりきってしまえば、自分の罪をもっと軽くできるのに。

下手すりゃなすりつけられるのに。

僕と同じことを考えた人は沢山いただろう。

けれど彼らは純粋無垢な少年のように、それを避けた。

「自分が悪いのであって、早く謝罪をしたかったけれども吉本にそれを邪魔された。でも吉本が完全に悪いわけではない」

この論理をキープし続けたことは、視聴者には好印象に映る。

で、これを計算して彼らができたのだろうか。

申し訳ないが、彼ら2人には無理だろう。

それくらい2人は取り乱していて、かつ2人は純粋だった。

計算ではないけれど、結果的に世間の同情を買った。

途中から、世間・世論、もっと言えば視聴者は

2人が闇営業をしたか・いくらもらったか。そういったことはどうでもよくなっていった。

2人の計算ではなかったにしても、会見の目的がすり替わっていったのだ。

視聴者は、圧力と隠蔽、強大な組織に立ち向かう弱々しい2人に共感して、その真実を知りたくなっていった。

誰がどう見ても2人は自分たちの未来なんて見えてはいなかった。

そんな精神的余裕も、計算も彼らは持ち合わせていなかった。

彼らは、本当に子どもがするように指切りげんまんをしたことを貫いただけだ。

そしてそれは捨て身になった。

この時期に不謹慎ではあるが、自爆テロ。命を、人生を懸けた特攻だった。

今回2人は恐らく、そのことに気づいていない。

自分で突っ込もうと思っていたわけではない。

繰り返しになるが、そんな計算はしていない、できない。

だからこそできた無心の、本当に恐れをしらない特攻だった。

整理するがこの時点で、世論は

宮迫・田村亮が悪い から 吉本興業が悪い に変わっている。

で、本来であれば、悪役が交代してこの会見は終わりなはずなのだが、

大変残念なことに旧態依然とした日本のマスメディアがここで自ら悪役を引き受け、いわば自殺をした。

どういうことか。

宮迫と田村亮の異変にマスメディアも気づいたはずだ。

これは謝罪会見ではない、とんでもない暴露だ。言葉は強いが、テロもしくは革命を彼らは起こそうとしているのだと。

モニタ越しの視聴者が気づいたのだから、恐らく会場にいる全員がそれに気づいたことだろう。

そして、大変皮肉なことに宮迫と田村亮の「保身」を糾弾していたマスメディアたちは自らの「保身」にはしることになった。

無垢な視聴者は、疑問に思っただろう。

あれどうして記者たちは、そこを避けて歩くのだろう。そこだけ触れずにいるのだろう。

おかしいなと。

2人の人生を懸けた特攻を彼らはなかったことにしようとした。黙殺したのだ。

普通の感覚なら、宮迫と田村亮の暴露は格好の獲物、最高のアシスト。

そこでシュートを打ってくださいというような絶好のボールなはずだ。

あの場にいた記者たちはそのボールに触ろうともしなかった。むしろ避けた。

そこから始まったのは、宮迫の過去の闇営業の有無や詳細な記憶の追求。

確かにそれは1時間前までは大事だった。だが今となってはどうでもいい。

“一流”の記者たちがそれに気づかないわけがないのだが、”一流”の記者たちは

最も報じなければならないはずの爆弾を手元に持たされることを恐れた。

それは何故か、恐るべきことだがこれも恐れを知らない無敵の田村亮が暴露していた。

在京5社は吉本の株主なのだ。

一流の記者たちは、気づいた。これは攻撃だと。

いつの間にか自分が攻撃者から防御する側に回ってしまっていると。

だから、攻撃した。

真実の追求を純粋に続ける彼らの足を引っ張って、もう一度彼らを悪人に仕立て上げようとした。

見当違いの質問が続き、視聴者は思った。

「今聞きたいのはそんなことじゃない」

メディアは自己保身のために、醜態をさらした。

最もひどかったのは、不倫騒動のときのオフホワイトという発言をもじって今回の事件の色を聞いた”一流”記者だ。

飽きれた。

何も面白くない。何を期待していたのか。

誰とでも写真に応じる宮迫は、そのフリには応じなかった。

空気が読めないとかではなく、お前は彼らの一世一代の勝負を汚したんだ。

その”一流”記者を表す色は限りなく漆黒に近いブラックだろう。

本来真実を追求すべき、メディア、記者たちは戦場から、真実から逃走した。

命知らずで突進してくる2人に怯え、自分たちが斬られていることにも気づかず、更に自分で傷口を広げた。

今日あの場にいた記者たちは集団自決したのだ。

第四の権力としてのメディアは、どこへ行ってしまったのか。

横暴を許していいのか。真実を追求しなくて本当に良いのか。

自分に都合が悪い真実には蓋をして、それで”一流”の記者なのかよ。

宮迫と田村亮は、自分たちが大量に斬ったことに気づいていない。

この時点で、視聴者は、世論は

吉本興業が悪い から メディアが悪い に変わっている。

一歩引いた視点で見ると、とても面白い会見だと思う。

まず第一に、会見の目的が会見中に大きく変化したこと。

次に、悪者が 宮迫・田村亮 から 吉本興業 そして メディア へと変化したこと。

こんなことがわずか2時間半の間に起きてしまったのだ。

くだらない映画を観るより、こっちのドキュメンタリーの方が何倍もおもしろかったことは僕が保証する。

さて、僕が今回一番書きたかったこと。

宮迫と田村亮が、親を手にかけたという事実だ。

何度もいうが、計算でもなく、そしてそれを望んでしたわけではないだろう。

でも「真実を守るため」には彼らは育ててくれた親ですら殺す必要があった。

その純粋さはある種の狂気である。

実際、親を殺すような事件も起きているが、その中で「親が道を踏み外したから殺した」というケースは果たしていくつあっただろうか。

いやらしく醜い”一流”記者たちの質問を彼らはかわし続けた。

ほんのさっき渾身の力で、親を切り殺し、血だらけの死体が横にあるのにも関わらず、彼らは一貫して親への感謝を述べた。

この会見が映画だと思うのはこの部分によるもの僕は感じている。

忘れてはならないのは、吉本をかばうわけではないが、彼らも被害者であるということ。つまり、宮迫と田村亮がやらかしたことの責任を負わされそこでの対処を間違い、時間をかけてしまっていたところ、2人が勝手に謝罪会見をするとなってしまい、そのまま斬られたという見方もできる。

正直なところ、当てられた感もある。

けれども、それを踏まえても、圧力・隠ぺいというのは悪に映った。

2人は、吉本を悪だと思ったわけでもなければ、圧力・隠ぺいだと思っていたわけではないのかもしれない。

本当に、田村亮が言うように、おかしいと思った・不信感を覚えただけ。

彼らは、ただ悪いことをしたから謝りたかった。それだけだったのに。

親はそれを止めた。

そのときは、どちらも予想外だっただろう。

悪事を働いた息子たちが、自分で謝りに行くなんて。

悪いことをして謝りに行こうとしているのにそれを止められるだなんて。

その食い違い、そのズレがヒビになってミゾになった。

親子は決別した。

今までの宮迫・田村亮のイメージとはここが大きく異なった。

「保身のために、会社に言うなと言われたことは言わず、しきりに繰り返していたQ&Aの練習をして、予定調和で昨日の吉本によって調整された会見を終えている」

それが僕の抱く、彼らへの印象だった。

芸能人はずるいし、いつも事務所に守ってもらっている。

真実など明かさない。

それは偏見だった。

彼らの言葉は切り裂いた。

親として慕っていた事務所も、真実を追求しないメディアも。

子供のように純粋にただ真実だけを追い求めた2人は世論を変えた。

変えてしまった。

あの時点で、彼らは”一流”記者よりもジャーナリストだった。

彼らはもしかしたらまだ気づいていないのかもしれない。

突発的な事故、ハイになっていただけなのかもしれない。

ただこれほどのことを意図せずに成し遂げてしまうとは。

身を捨てていこう、失うものは何もないだけではなく、本当に未来が見えていなかったのではないか。

元SMAPのように、2人がメディアに戻れたとしても圧力を受けることは必至だろう。

吉本自体が反社のとの付き合いがあるとか、吉本自体が反社だ。というような話もあるわけだから、何らかの脅迫や報復があるかもしれない。メディアに戻らなかったとしても、一般人でも何らかの被害を被ってしまうかもしれない。

普通なら、考えて怖いと思う。僕ならどうしただろうか。

最初の時点で親に迎合してやしないだろうか。

僕はとても勇気をもらった。

同時に彼らを応援したくなった。

少なくとも会見前の僕と、会見後の僕は考え方が大きく変わってしまっている。

メディア界隈の識者たちは、これをどうマスメディアが報じるかと議論しているようだ。大方の予想は、「マスメディアは自己保身のために圧力・隠ぺいを行うだろう。吉本と同じように」

人間を襲う強大な魔物をかくまった両親を、手にかけ立ち向かった2人の少年。そんな物語を2人は恐らく意図せずして作り上げてしまった。

長々と書いてきたが、とても悲しく、同時に考えさせられる会見だった。

吉本興業という巨大組織の闇も勿論糾弾されるべきだが、僕が悲しいのはマスメディアだ。

目の前に立っているのは、2人の勇気ある告発者(Whistleblower / 笛を吹く者)なのに、それを罪を犯した芸人(Comedian / その笛で踊る者)として取材した。

冗談じゃない。いつから、日本のマスメディアはここまで凋落したんだ。

わかってはいた。わかってはいたが、それから目を背けていた自分がいた。

情報統制が行われるだろう。2人の発言は、加筆・修正されて広まることになるだろう。

本日、2019年07月20日。メディアは集団自決した。

ヒットラーやビッグブラザーはすぐそばにいるのかもしれない。

ここで終わろうかと思ったのだが、書いた文章を振り返って校正してきてふと思った。

2人はもしかすると、本当に天才的なエンターティナーなのではなかろうか。

普段とは違い、喜劇ではなく悲劇を視聴者、つまり観客に提供し、

会社とメディアを自分たちの笛で躍らせた。

最後になるが、僕はまだ期待したくなるのだ。それが無意味だとわかっている、裏切られて傷つくだけだとわかっているのだけれど。

今日の事件が、真実がきちんと世界に伝わることを。

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