心の作用

いま、「考えすぎない練習」という本を読んでいる。
「考え」と「思考」の違いがわかりやすく書かれていて、読んでいてとても新鮮な気分になった。
読み進めていて、いまの私が感じた事を書き記そうと思う。
(考えがどんどん生まれ、思考によってそれらが様々な形に変わってしまう前に)

「考え」は空に浮かぶ雲のようなもの。
どこからともなく次から次~と生まれ形を変え空(脳内)を泳ぐ。
雲の形や行方やそもそも語ってなんだっけ…
雲の正体について思考し始めると思い悩む。
「思考」はすなわち、迷いや苦悩やストレスも生みだすということだ。


マインドフルネス瞑想が心地よいのは、「雲(考え)」をそのままにしておく時間だから。
思考することから一旦離れる、意図的に距離を置く行為・時間だから。
ただ空を眺める、雲の数や形や色を意識せず、要の行方を追わず、その瞬間ごとに変化する「空」をそのまま眺める感じに遅いかも。

食べる時も、目の前に出されたものを、幸せな気持ちや、感謝の気持ちで楽しむと、「思考する」事は無意識的に休止している気がする。
仕事の「会食」で豪勢な料理を振舞われたとしても、「美味しかった」という記憶があまり残らないのは、各々が「仕事についての考え」を「思考」し、「話す。伝え合う」ことがメインになっており、「食事をする」その瞬間に留まっていないからかもしれない。
うん、なんか納得だ。

愛するときも、きっとそう。
愛することや愛されることをまるごと全部のわたしで味わっているその瞬間、
もうただただ幸せであたたかく生きていることに感謝せずにはいられないような(ここでは〇〇に、といった対象は無い)幸福感だけがそこに在る。
なんなら「考え」も「思考」もそこには存在すらしていない。もだからあんなに幸せで、充足感や安心感に満ちているのか。
「考え」について行った先に待つ「不安」や「恐怖」や「虚無感」があるなんて考えも及ばない。

人は、愛する人と食事をしている時、そして愛する人と愛し合っている時はもネガティプな感情や手いや攻撃的な考えがほぼ生まれない。と聞いたことがある。

私たちはいつも幸せで満ち足りた存在で、
そうでなくなる原因はいつも自分次第。

覚えておかなくても良いことをいつまでも記憶し思考し続けるチカラを、
今ここに在る生命や時間を愛でるチカラに変えて、この瞬間を生きる集中力を育みたい。

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