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かんがえごと

寝なくては行けない、と思えば思うほど、知りたいことが頭に浮かんで、調べて、気がついたらまた別の気になってることを調べており、さっきのは結局どうなって、あれはなんだっけ、というリサーチの無限ループに突入して、気がついたら起きているのだった。

突然だが、あなたには、気になって仕方がない場所というのがあるだろうか。

私にはある。

自分とは縁もゆかりも無いはずの、しかし何故だか憧れを抱いている場所がある。ほんとうに無いと言ったら嘘になるのかもしれない。もしかしたら、(ほんとうにもしかしたらだけれど)私が生まれるよりずっとずっと昔、どこかでなにかが繋がっているのかもしれない。わからない。それこそ調べてみないとわからない。けれどとにかく、そこへ行きたいという欲望が、さいきん、どうも止まらないのだ。

で、また話は最初に戻る。
その、憧れの土地と、さいきん気になる話題とを交互にみた時、頭のなかの私はずっと何かを話したくて仕方がなくなる。だからメモを取りながら、何かを読む。繰り返す。だんだん感覚が麻痺してきて、考え方が固定化されてしまう。のは良くない。

そう、良くないのだ。

ひとりで考えてばかりでいると、どんどん自分が思いたいようにしか思えなくなる。そのドツボにハマってはや数年。最近、やっとその怖さに気がついた。(遅い、遅すぎる!!!)

そう、遅すぎる、というのは良くないのだ。

ということを、さっきからずっと頭のなかで考えていたのである。

最近思うのは、どんなことでも、何かがあってからでは遅いのではないか、ということである。

例えば、さっき話した憧れの土地の、いろんな地元ニュースを読むとする。なるほど、こんなことがあったのか、ああ、そうか、と、色んなことを私なりに考えていく。

こういうお店がオープンした、これからの季節こういうスポットがおすすめ、こうしたらこれがよくなる、みたいな話題を読むのが好きだけれど、時にはすごく読んでいて辛いものにも出くわす。

もし私がその場所で、そのことを知っていて、そのニュースが起きる前なら、私は何かするのだろうか。そんなことを思う。

そう。そもそも、そういう辛いニュースが書かれたということは、そういうことが既にもう起きてしまっているのだ。

起きた後で、あの時こうしていれば、なんてたらればをいっても世界は何も変わらないのをわかった上で、空想のなかの私は、その場所に根ざす過去の自分を想像してみるのだった。

なんの話しだろうか。

とにかく、何かが起きる前に、なんとかできることは無いのか、というのを考えてしまう。でも、それが決してすべて良いこととは限らない。他人の自由を奪うかもしれないし、そもそも私がそれをする立場ではなかったりする。誰かに頼まれたら、そうしなきゃって思うけれど、でも、頼まれなくても思ってしまうこともある。

難しいね。なんだか。なんの話をしているのか自分でもよくわからなくなってきた。

とにかくさ、本当はそんなこと考えないでさ、美味しい物食べて、沢山眠るのが、いちばんなんだよね。たのしいことを考えた方がいい。ほんとうにそう。

最近、素直に笑えるようになった、という自覚がある。嬉しいことを、嬉しいと自分のなかで認めることを無意識にしているからだ。あ、いますごくたのしい、うれしい、そう思って、そのあと言葉にする。だいじなこと。今、私は幸せですよと、相手に伝えられたら、相手もそう思っていたら、もっと幸せだ。

まあそんな感じの、しっちゃかめっちゃかなことを、考えている。

基本的にいつもこのnoteは投稿する前に読み返したりはしない。ありのままの自分の思考をただ垂れ流してあとで読み返したい、というのがあって、しかし、書いている時には既に読者を意識しているからである。

そろそろ寝ましょう。

おやすみなさい。

こんなくだらないことを読んでくれたあなたへ。
いつもありがとう。
良い夢を見てね、私も見るから。

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