見出し画像

おはよう、おもいきり世界

毎日のようにここに来ては、数行書いて、何が書きたかったのか有耶無耶になって、人に聞かせるほどのことでは無いなと思い、下書きが蓄積する日々が続いている。

久しぶりに夜更かしした。鳥たちが鳴きだして、窓越しに光を感じた。さすがに寝なくちゃと思い目を閉じるとすぐに眠ることができた。嫌な夢を見た。また、起きたら息ができていないのだった。

ここ最近は、ほんとうに元気だ。自分でもびっくりするほど。今日夜更かしして、思った。ちゃんとした生活をすれば、ひとは自然と元気になる。感情ジェットコースターは運行が中止して、おだやかなメリーゴーランドに変わる。

とても良いことだ。好きなことがいくつかできるようになって、何か問に対して深く考える余裕もある。ひとと笑って喋ることが出来る。助けてと言わなくとも、生きてゆける。

日常を、日常だと認識する。いつでもかけがえのない日なのだと思って、ひがな一日過ごす。ああ、今日はこんなことをして、あんなことをして、幸せだったな、なんて呑気に思う。こんなふうに毎日、楽観的に過ごすことが大事なのだと思う。

久々に2年前の自分が書いたエッセイを、読んだ。キラキラとしていた。何者かになりたいという貪欲さは、今はもうほとんどないなと思った。大人になったのか、それとも勝手に自分のなかの何かを諦めたのか。どちらでもある。大人になることは、良いことだ。
でも、どんなに歳をとっても、私は、周りの尊敬する大人たちのように、大人としての気品を持ちつつも、子どものような無邪気さを備えたにんげんでありたい。

あの頃は、何かを諦めたりしないで、やりたいことをぜんぶやっていた。というか、今年に入るまでそうだった。
でも、今年に入って、私はついにキャパシティを理解したのだった。遅いなと思う。何度もオーバーワークして破綻しかけて周囲に叱られてを繰り返し、やっとこさ学んだのである。そうしてほんとうにやりたいことを選んだ。しばらく、残したものもなにもせず、ぼうっと、ただ息をするだけの毎日がずっと続いていた。私は順応するのが得意なふりをするのが得意なだけで、決して得意なわけではない。だから何かを切り捨ててからの私は、しばらく、切り捨てなかったものすらもできずにいた。

自分や、尊敬するひとのエッセイを読んで、何かを書きたくなった。というのも、いま、書くことが楽しい時期。つまり切り捨てなかったものを生活のなかでできるようになったのだ。生活に慣れたのもある。何曜日には何をする、ということに、慣れた。ようやく慣れたと思ったらもうすぐ夏休みだ。夏休みは毎年、とにかく寝てしまう。今年こそは、寝ただけだなと思わない夏を過ごしたい。

ずっと言葉が淀みなく溢れてくる。止まらないから私、二度寝することが出来ない。そろそろ終わろうと、頭のなかの私が言っているのに、まだ書きたい私は、スマートフォンの画面の上、指を滑らせる。

とりあえず、二度寝しようよ。そうだね、そうした方がいいね、あんな夢を見たし、ほとんどねむっていないのとおんなじだもんね。うん、だから君、もう書くのは止してくれ。わかってる、わかっているよただ君が、まだ書きたそうにしているから。

蟬の鳴き声が、遠くでずっと聞こえる。夏は、彼らの声をどうしても書きたくなる。録音する。彼らが飛んだり死んだふりをしたりするのがほんとうに大嫌いであるのに、彼らの声が大好きで、いなくなると淋しくなるのは、なんでなのだろう。今年も、ちゃんと彼らの声に耳を傾けよう。そうだ。書きたいことはぜんぶとりあえず書けば良いんだ。何を書きたいかなんて迷っている間に、書けたんだ。書けなかった。でも書けなかった時間は、決して無駄ではない。自分のエッセイでも書いていた。書かなきゃと焦るだけの日々が続いていると。なんだ、あの頃と、変わっていない部分もあるじゃないか。

あなたへ。だれかの備忘録をなんとなく開いて読んでしまっている、そこのあなた。あなたは今、どこでなにをしていますか。元気ですか。悩みはありますか。ないにんげんなんていないのかもしれないね。あなたも、無理をせず、自分の好きなことを生活に織り交ぜて、生きてください。

それでは今度、また私の気が向いた時まで、おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?