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夢の友達

 これはクライアント先のAさんがまだ小さかった頃の話だ。
 
 保育園の先生、同じクラスの保護者、地域の大人たちが持つAさんのイメージは『おとなしくて無口な女の子』だった。
 自分から積極的に話しかけることはなく、休み時間や自由時間になると、いつも教室の隅で静かに絵本を読んでいたという。
「私、喋り始めるのがすごく遅かったんです。だから、なかなか友達が作れない私のことを両親はすごく心配してました。小学校に上がったら環境も変わるし新しい友達ができるかもって期待してたみたいですけど、私自身にその気がなかったので、けっきょく保育園と変わらないままでした。でも、別に寂しいとか思ったことはなかったです。だって、私には夢の中に友達がいましたから」
 
 Aさんは友達のことをドリーちゃんと呼んでいた。”夢(ドリーム)”でしか会えないから”ドリーちゃん”。子供ながらに頑張って考えた名前だった。
 
 最初にドリーちゃんが出てきたのは5歳の誕生日の夜。黒いワンピースを着ており、身長はAさんと同じくらいだったという。彼女は「お誕生日おめでとう」と、小さなノギクを一本プレゼントしてくれた。
 次に会えたのは半年後で、次は4ヶ月後、次は2ヶ月後と、どんどん期間が短くなり、Aさんが小学校に慣れる頃には、ほぼ毎日夢にドリーちゃんが現れるようになっていた。
「夢の中だから公園にいるときもあれば、知らない部屋にいるときもあるんですけど、いつもドリーちゃんが何をして遊ぶか決めてくれました。缶蹴り、ブランコ、けんけんぱ、花冠作り……私は少しでも長く彼女と遊んでいたくて、だんだん寝ている時間が長くなっていきました」
 
 それは国語の授業を受けているときのこと。
 ついさっきまで教室でノートをとっていたはずなのに、いつの間にか山道に立っていた。
 普通ならパニックになるところだが、Aさんは前方に黒いワンピースの後ろ姿を発見し、すぐにここが夢の中だとわかった。
 ドリーちゃんは振り返り、右手をちょいちょいと曲げて手招きする。
 Aさんはなんの疑いもなく歩き出すと、ドリーちゃんも前を向いて元気に歩き出した。
「夢だから当たり前かもしれないですけど、車が一台も通らないからすっごく静かでした。周りには木しかなくて薄暗かったから、置いていかれないように彼女のあとをついていきました」

 Aさんは前を歩くドリーちゃんの背中に問いかける。
「今日は遊ばないの?」
「遊ばない」
「どこに行くの?」
「いいところ」
「いいところってどこ?」
「ないしょ」
 ドリーちゃんは私に教える気がないんだな。そう思ったAさんは、諦めてただ歩くことに集中した。

「それから1時間くらい歩いたんですけど、景色も全然変わらないし、この状況に飽きてきました。今は体育の授業中かな〜とか、今日の給食は親子丼だったな〜とか考えちゃって。そしたら、なんだか無性に帰りたくなりました。今まではドリーちゃんと一緒にいたくて起きるのが嫌だったのに、帰りたいって思ったんです。だから、私は正直に帰りたいって言うことにしました」
 Aさんの言葉を聞いたドリーちゃんは、ぴたりと足を止める。
 突然歩くのをやめたドリーちゃんに反応しきれなかったAさんは、彼女の背中に勢いよくぶつかってしまう。慌てて謝ろうとしたが、ドリーちゃんは立ち止まったままピクリとも動かない。その姿に、Aさんは何か不気味なものを感じた。
「一緒に行こうよ。こっちにいた方が楽しいよ」
 ドリーちゃんは前を向いたままそう言った。
 それでもAさんの気持ちは変わらず、ドリーちゃんの背中にごめんねと謝罪すると、来た道を戻ろうと振り返る。
「そしたら、左手をぎゅっと握られたんです。びっくりして振り向いたら、すぐ真後ろにドリーちゃんが立っていました。あまりにも距離が近かったから手を離そうとしたんですけど、絶対帰さないみたいな感じで掴まれて……思わず『離して!』って勢いよく振り解いたら、目が覚めました」
 Aさんの視界に広がるのは、病院の天井だった。
 医者から聞かされた話だが、どうやら国語の授業中に突然眠ってしまい、そのまま3日も起きなかったらしい。
 ドリーちゃんと一緒にいたのはたったの数時間だったのに、現実ではかなりの時間が経過していたことにAさんは驚き、そして恐怖した。
 
 あの日以来、ドリーちゃんが夢に出てくることはなくなった。
 少しづつではあるがクラスメイトと話すようになり、仲のいい友達が増えていった。そんなAさんを見て、両親はとても安心したという。
 
 あのとき、もしドリーちゃんと一緒にいることを選んでいたらどうなっていたのか。”いいところ”とはどんな場所だったのか。
 Aさんは大人になった今でも、ときどきそんなことを考えてしまう。