見出し画像

『いいね!』

サニーデイ・サービスのニューアルバム『いいね!』のLPが届いた。アルバム自体は発売後にiTunesで音源をすでに買っていて、ずっと聴いている。偶然だが、知り合いでもある役者の藤江琢磨くんがアルバム収録曲『春の嵐』のMVに出ていたのでそれでアルバムが出ることを知った。

SNSで曽我部さんが手にしていたLPはクリアブルーのとても鮮やかな青だった。家にはレコードプレイヤーはないけども、欲しいなと思った。音源自体は盤がなくても聴いたりできる状況になってきたけど、どうしてもそっちに一気に踏み込めれずにサブスクはできるだけ使わずに今だにiTunesで音源を買って、壊れかけのiPod nano第七世代を使っている。そこに音源を入れて外に行く時は曲を流しながら歩いている。

容量があまり大きくないからiTunesにある曲は全部は無理だし、その時々でどのアーティストを入れるか外すかを悩んでいるけど、それがたのしい。無限じゃないから、限りがあるところから選ぶから自分には意味があるように思っている。

現在のコロナ禍においては自粛という名のもとにいろんなものが今までとは違う状況になった。目に見えないウイルスによって可視化されてしまったものがたくさんある。それがいいのか悪いのかはこのあとの歴史や後年の人たちが決めるのだろう。決められるのは僕らがどのような行動を取るか、その結果のことになるのだけど。

オンラインで打ち合わせは何度かしたけど、いまのところオンライン飲み会というのは基本的には断っている。普段家にいる時は一滴もお酒を飲まないからだ。家には酒がひとつもない。僕はそんなに酒が強いわけではないからたいてい飲みに行ってもビールばっかり飲んでる。でも、そういう場所に行ってその時一緒にいる人と話したいからビールを飲んでいるのであって、ビールを飲むということが目的にはならない。だから、コミュニケーションツールとしての飲みはあるけど、誰かと会わないのなら特に飲まなくても問題はない。オンラインは家だから、会えないなら別に画面越しに飲まなくてもいいんじゃないかなって思ってしまう。どうせ、飲んでも飲んでいなくても言いたいことを言う関係性が大事だし、今こんな状況だからオンラインで飲もうと言われても、普段飲まない人とは画面越しでも飲もうという気はおきない。

基本的には冷たい人間だし、というかそう言われるのは自分でもわかっている。自分にとって大事かどうかでわりときっぱりと差別ではなく、区別している部分がある。どうでもいい人はどうでもいい。その人からそう思われても問題がない。それがわかっているからこそ、法改正を自分たちの都合のために変えようとする人たちには反対するし、抗議の意思を見せる。僕にとって大切な人もそうでもない人も、それは僕にとってであって、社会的にも個人的にも自由や尊厳は守られないといけない、そうでなければ、社会のバランスは崩れるし、利権や自分勝手なことがまかりとってしまう。僕にはそういう力がないけど、もし持ち得た際にそういう横暴なことをしてしまうかもしれない危惧はある。だからこそ、そこは守られていかないといけない、誰だって力を手に入れたら間違えるし、その力を使うことに酔いしれてブレーキがいつか効かなくなる。そのために法やルールは整備されておかなければいけない。現在だけではなく、未来のためにも。そして、個人の心情や慮るという性善説が信じられなくなっていく時にこそ死守すべきものだと思う。

失われた30年、平成という元号はまるまる構造改革が失敗した期間で、経済大国で先進国だった日本は落ちぶれて、どんどん追い越されて経済後退国になっていった。人間は金銭的な余裕がなくなれば、どんどんシビアになって精神的な余裕がなくなる。僕は震災時に働いていた場所が裕福な人が住んでいる地域だったこともあり、生まれながらの本物の金持ちと成り上がりの金持ちと接する機会が毎日あった。その二つはまるっきり逆だった。誰かにマウントを取る必要がまるでなく、相手を尊重してできるだけ丁寧に接してくれたのはやはり本物の代々続く金持ちの人たちだった。僕らを低く見ていてもそれを微塵も感じさせなかった。それは生まれ持った余裕が成すものだったし、優雅さみたいなものだった。成り上がりの人は言うまでもなく、敵と味方に世界をわけて自分という存在をできるだけ誇張し、バイタリティ溢れる勇ましさがあった。それはどこか羨ましく恥ずかしくもあった。どちらも僕からは遠いところにいた。

あの頃よりもさらに景気は悪化して、コロナ禍によってより深刻なダメージを受けている今、追い詰められていく人、ギリギリの場所からも崩れ落ちてしまう人、血を吐きながら踏ん張り続ける人、諦めてしまう人、いろんな人がレッドゾーンに落ちていく、そして生きるためにはなんでもする人がいる。その時、シビアになった世界ではもう性善説など言ってられなくなる。憲法改正とか種苗法改正案とかヤバいことをやろうとしてるのは、そういう人ではなく、どちらかというと富む側、利権の側にいるからよりタチが悪い。さらにその人たちはずっと、この20年近く徐々にヘイトを扇動して自分たちに向けるべき怒りを他国や出自に向けさせ続けてきた。そして、経済大国だと信じたい人たちはほんとうのこを認めたくないから、日本すごいとか美しい国とかのコピーに踊らされていった。踊っていたのは本来は扇動している人に石を投げるべき立場の人たちだった。

弱い者達が夕暮れ
さらに弱い者をたたく
その音が響きわたれば
ブルースは加速していく

だが、彼らが叩いていたのものはすでに自分たちよりも弱いものではなかった。いや、弱いと思いたいものだった。ずっと現状が認識できない愚かな人たちが自分たちのプライドのためにいとも簡単にヘイトをしていく、だから、ブルースは加速していかない。そこにはブルースはなかったし、ライムを刻むリリックももちろんなかった。

なにを書こうと思ったんだっけな、そうだ、『いいね!』のクリアブルーのきれいなレコードについて感じたことを書こうと思っていたんだった。

音源はデータとして目に見えない形で存在していて、それをもとに聴くことができる。サブスクは音楽を貪欲に聞きたい人にもっと広い世界を見せてくれるし、知らなかったものとの出会いも誘発してくれる可能性もある。しかし、データベースの情報収集によって、これを聴いているならこれとリコメンドされて未知との遭遇はある部分ではシャットダウンされてしまう。レコードっていうのは実家にはあったけど、自分で買ったことがあるのは今まで数回だけで、その時にはダウンロードコードがついていたから、レコードがなくても音源は聴くことができた。

見えることと見えないこと。コロナ禍とレコード盤、そういうことが一瞬頭に浮かんで、そういうことについて書こうと思っていたら、ずっと関係あるようでないことを書いていた。まあ、そういうものだと思うけど。

例えば、レコードは投げたら割れる。小学生ぐらいの時に道端に捨てられていたレコードを川の石とか山に目掛けてフリスビー代わりにして遊んだ記憶がある。もちろん、レコードは破れて二度と聴くことはできない状態になった。レコードは力を入れれば自分の力でも割ることができる。そうすればもう音は鳴らない。

これを書いているMacBook Airは思いっきりフリスビーのように投げて飛ばして壊れても、中に入っているiTunesのデータは他のPCで同じアカウントを引き継げばデータがあるものは聴ける。

なんだかとても不思議だ。

この先の未来には人間はこの体を捨て去って、機械の体やネットの世界へ魂や心のソフトウェアをそれらに適したものへ移行することができるようになるというSFめいたことが語られている。今回のコロナ禍はたぶんそれを一段と加速させたのだと思う。音楽はかつては演奏されるものだった。それが楽譜というメディアで複製されるものとなった。蓄音器やレコード、CD、MDもあったけど、データになって今は見えないけど聴ける形になった。データとしての僕らの魂がハードウェアを履き替えるようにしていくイメージ、本当に人は死ねなくなるのかもしれない。

それは幸せなのか不幸なのか。たぶん、不幸だと今のところは思う。

伊藤計劃『ハーモニー』の世界では人はもはや病気になれなくなっていた。死ねない身体、死にたい魂、レコードを割るように自殺する自由すらない世界は果たして幸福なのか。死ねない世界、目に見える世界から見えないものを取り出そうとする意志。

崩れて綻んで壊れていくものだから、いつか失われるからなにを大事に思う。この瞬間瞬間、その刹那だけが永遠だとずっと思っている。見えないものによって可視化されて、進んでいく世界で僕らはこの身体性と人に会うということの価値、いや、そのかけがえのなさに気づいた。

遅すぎることも早すぎることもない、僕らの時代精神は変わり続けていく、いつか死ぬからそれまで生きていこうと思う、たぶん、そういう部分はコロナになろうが変わらない。マスクをして出歩くとメガネ曇ってしまう時に笑ってしまいそうになる。個人的にはこのまま東京五輪は中止しかないと思うけど、延期されたのにいまだに商店街のフラッグは2020のままだ。

梅雨がもうすぐきて、20年代最初の夏がやってくる。マスクはできるだけしたくないけど、その頃はどうなっているのだろうか、最近よく外に出ると頭が痛くなるのはマスクで熱が溜まっているせいだとわかった。僕はこの夏にはたくさん歩こうと思っている。汗だくになりながら、ただ何にも考えないで歩きたい、そうすると自然となにかが浮かんできては去っていく、でも、それはどこに残っていてそのうち顔を出す。

時間が止まって 音楽が始まる
憶えておけるかな
いつか戻れるように

知らない場所目指そう なつかしいことをしよう
ただどこまでもまっすぐ そして巡る季節も

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?