『蜘蛛の巣を払う女』
デヴィッド・フィンチャー監督『ドラゴン・タトゥーの女』の『ミレニアム』シリーズ最新作『蜘蛛の巣を払う女』をTOHOシネマズ新宿で鑑賞。北欧ミステリーブームが世界中で起きるきっかけになった『ミレニアム』シリーズの小説第四弾の実写化である。
デヴィッド・フィンチャーは製作総指揮になっていて、主人公であるリスベットの過去を巡る物語になっている。友人の有田が観に行ってほんとうによかったと言われたので、あまり観に行く感じはなかったが観ようと思った。確かにフィンチャーじゃないし、『ドラゴン・タトゥーの女』の主演コンビは出てないしなあと思っていた。きっと、多くの人はそう思っているはずだ。だが、しかし!
今作『蜘蛛の巣を払う女』はフィンチャー版『ドラゴン・タトゥーの女』にも負けていないほどのクオリティとおもしろさです、間違いなく上等なエンタメです。このクラスはそうそうないでしょう。
また、冒頭からリスベットが女性に暴力を振るう男性をとことんボッコボコにする、すべての面において。そして、物語のキーとなるリスベットと敵対する女性においても、彼女がある人物から受けてきた被害も現在性が非常に強いものになっている。このことは#Me Too運動とのリンクもかなり感じられる。こういうことを意識的に作品に取り入れる、あるいはそういうものが含まれている作品を選んでエンタメに昇華しながら、ハリウッドでは製作できるということの意味を考えなくてはいけない。
その現在性ということで言えば、アイドルグループのメンバーが受けた暴行被害において、ダウンタウンの松本さんが番組で指原さんがゲストの際に言った発言などがすぐに思い浮かぶ。この件に関してはかつて「ごっつ世代」だと言っていたし松本さんプチ信者だった僕だけではなく、彼に対してそんな風に感じていた人たちの落胆はすごいものとなっている。もし、あれをお笑いだからと言っている人はこの事態の深刻さをずっと理解できない。同時に自分も同じようなことを気づけない可能性が非常に高いと思う。僕はそうなりたくなりので、できるだけ考えたいし、そういうことに関しての書籍などいろいろ読んでみたりしている。韓国の『82年生まれ、キム・ジヨン』も読んだが、今この本が読まれていることと松本さんの発言はつながっている。たとえ、どんだけ才能があろうがそのジャンルで天下を取ったような天才と呼ばれる人でも、時代を敏感に意識してないと完全にズレていってしまう。本当に大事なことを助言するような親友も後輩もいなくなってしまった結果だと思う。
話を戻せば、この『蜘蛛の巣を払う女』は主人公のリスベットのハッカーとしての行為やバイクや車、戦闘におけるアクションシーンが完全にエンタメとしてたのしめる。今作ではチェスが果たす役割や関係性などの表現があるが、リスベットとチェスをするある人物の知能やその人物を巡る戦いは本当に手に汗握るものとなっていた。もう、今年はこの作品がもうベストなのかもしれないと思うほどだ。あとは自分がどうしても好きなものや投影できるようなものなんかじゃないとこの作品よりは上にはいかないと思う。観てない人は騙されたと思って劇場で観てほしい。
『ミレニアム』シリーズはジャーナリストのスティーグ・ラーソンとパートナーだったエヴァ・ガブリエルソンの共同執筆になっている。ラーソンが反人種差別と反極右を掲げていたのもこのシリーズの背景にあり、キャラクターたちに反映されていることがやはり大きいのだろう。
以下、第一弾『ドラゴン・タトゥーの女』作品テーマをwikiより転載
第1部の原題 "Män som hatar kvinnor" は直訳すると「女を憎む男達」であり、シリーズ全篇を通して、女性に対する蔑視および暴力(ミソジニー)がテーマとなっている。これは著者が15歳のころ一人の女性が輪姦されているところを目撃していながら、何もせずその場を逃げ去ったことに由来する。著者はその翌日、被害者の女性に許しを請うが拒絶される。その時以降、自らの臆病さに対する罪悪感と女性暴力に対する怒りが著者を生涯つきまとうようになった。その被害者の女性の名前は「リスベット」で、これと同じ名前が本作の第二の主人公に与えられている。
スティーグ・ラーソンが第三弾まで、エヴァ・ガブリエルソンと共同で執筆したが2004年に他界したので、ダヴィド・ラーゲルクランツが続編となる第四弾『蜘蛛の巣を払う女』と第五弾『復讐の炎を吐く女』を執筆していて、第六弾まで手がける予定になっている。今回映画化された『蜘蛛の巣を払う女』の原作小説は未読だが、映画を見る限りではダヴィド・ラーゲルクランツはスティーグ・ラーソンの意志を完全に引き継いでシリーズの続編を執筆しているのがわかる。
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