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「長生き教」について。

こんにちは(^^♪

ナビたろうです、アクセス頂きありがとうございます。心より御礼申し上げます。このマガジンでは、日々の気づきや考えなどをとりとめもなく、まとめていきます。文章の乱れなどはご了承くださいませ。

今回は「生き方」について。感じたこと、考えたことをとりとめもなくまとめておきたいと思います。

「長生き教」について。

まずいきなり大きな話ですが。どのように生きていきたいか、成長していきたいか、人生を歩んでいきたいかを考えるときに、死生観のようなものってすごく影響してくるなと、最近感じています。

そのようなレベルで考えたときに、日本人って基本的に「長生き教」だなと思います。これは日本が戦争を経験し、そこで得た教訓みたいなものも影響していると思いますが。長生き教とは、文字通り「長生きすることはいいことだ」という考え方です。もちろん他の国の人々も基本的には長生きしたいと考えていると思いますが、日本とは少し質が違うんじゃないかと。例えば、他の国では「使命のために命短く生きる」というのはかなり受け入れられています。しかし、日本ではそのような考え方は結構、ご法度ですよね、戦争の経験がフラッシュバックするように、教育されてしまっていますので。日本の場合、どんなに耐え忍んでも「細く長く生きる」ことがよいとされているわけです。

この「長生き教」の教えの元に、社会のいろいろな仕組みも成り立っているのではないかと思います。特に戦後の終身雇用制度、年金制度はその典型例でしょう。企業に定年まで勤め、その後、年金をもらいながら「細く長く生きていくことこそが最高」という人生モデルが、現在も残っています。これからも残り続けるでしょう。

長生き教の元では、急成長はNGです。どちらかいうと、安定成長が好まれます。安定して、年率数パーセントで右肩上がり、というのが理想的です。急成長はなんだかよくないような気がしてしまうのです。

私たちの世代。

私は昭和62年生まれ、今年で35歳になります。長生き教の教えにも、なんとなく漬かっています。しかし一方で、それ違うかも、という疑問も感じています。それは、長生き教の教えの元で人生を送ってきた世代が、あまり幸せに見えないからだと思います。せっせと働き、定年し、その後、さらに長生きするために健康グッズを買い集め。そんな人たちをロールモデルにするのは違うんじゃないかと感じているからです。

かといって、長生き教に変わる死生観を持ち合わせているわけではありません。しかし、なんとなくそれは違うんじゃないかなーと感じているのだと思います。

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