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5_知らない「自分」に『開かれている』こと

こんにちは、ナビたろうの「学習相談室」にアクセス頂き、有難うございます。心より、御礼申し上げます。

前回は「コンプレックス」の意味することについてお話しました。今回はその続きを書いていきたいと思います。前回の分を読まれていない方はぜひサクッと流し読み頂けると幸いです。

ジョハリの窓(Johari Window)

前回の記事にも書いたように、人は「自分を知っている」と思い込んでいますが、実は「それほど」知りません。なぜなら、人間の内面は「単一」なものではなく「複合的なもの」だからです。その複合的な存在を意味する言葉が「コンプレックス(心的複合体)」です。イメージとしては「ごちゃごちゃしたもの」です。

このことに関連して、もうひとつ「面白いこと」があります。みなさんの中には知っている人もいるかと思いますが「ジョハリの窓」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

ジョハリの窓(Johari Window)とは、自己分析に使用する心理学モデルの一つです。955年夏にアメリカにて催行された「グループ成長のためのラボラトリートレーニング」席上で、サンフランシスコ州立大学の心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリ・インガム (Harry Ingham) が発表した「対人関係における気づきのグラフモデル」を後に「ジョハリの窓」と呼ぶようになりました。 ジョハリ (Johari) は提案した2人の名前を組み合わせたもので、実はジョハリという人物がいる訳ではありません。

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ジョハリの窓では「自己像(セルフイメージ)」を「4象限」に分解して整理します。この点がジョハリの窓の面白いとことです。「自分が知っている⇔知らない」「他人が知っている⇔知らない」の二軸で4つのに分類します。

例えば、自分で「明るい人間」だと認識しており、他人もその人を「明るい人間」だと思っていれば、それは「左上(開放の窓/OPEN SELF)」に分類されます。少し難しく言うと「自己認知」と「他者認知」が一致している部分です。

しかし、そのようなことばかりではありません。自分は「ネクラ」だと思っているのに、他人からは「明るい」と思われていることもあります。その場合、「左下(秘密の窓/HIDDEN SELF)」に分類されてます。自分だけが知っている自分の領域です。

企業の研修などでもよく使われているフレームワークですので、折に触れ、ジョハリの窓を使って「自己分析」してみると、意外に面白い自分に出会うことがあります。みなさんもぜひお試しください。

盲点の窓(BLIND SELF)が大事

さて、ジョハリの窓における分析において、もっとも重要な窓は「盲点の窓(BLIND SELF)」です。盲点の窓とは、「自分がしらない+他人が知っている自己」です。この盲点の窓を少しずつ開いていくことが重要だと、心理学の実験でも証明されています。

例えば、自分では自分を「明るい人間」だと認識していたとします。しかし、他人(例えば友達)から見ると、「暗い人間」だと思われていることがあります。これはまさに「盲点の窓」に分類される例です。自己認識と他者認識が異なる点では「秘密の窓」と同じですが、自分が知らない自分が存在することがこの窓の重要なところです。

そして、自分の知らない自分(でも、他人からは見える自分)に対して、そのことを受け入れる姿勢を持つことはさらに重要です。人間は本質的に「自己防衛」をする生き物です。自分が知らない自分に出会ったとき、まず生じる反応は「それを否定」することです。そんな自分は自分じゃない! 何を言っているんだ! と怒ります。例えば、自分では明るいと思っていたのに、周囲の人から「暗いよね」と言われたら、あの人は「私のことを全然知らないんだ!」と言って、怒りの反応が生じます。実際、このような反応を示す人を私はたくさん見てきました。

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しかし、考え見てみれば、人間は「完全に客観的に自分を知る」ことなんてできません。人間は「いつも何かのバイアス(偏見)を持って」、物事を見て、経験しています。それは対象が自分であっても、変わりません。むしろ、自分だからこそ、見えないものがたくさんあります。人は常に自分を経験しています。その経験の積み重ねがあるがゆえに、見えなくなっているものはたくさんあるのではないでしょうか。

知らない自分に「開かれている」状態

私は、人には「開かれている状態」と「閉ざされてる状態」の2つがあると思います。それは、何かというと、知らない自分に対して「開かれている状態(受け入れる姿勢が整っている状態)」と「閉ざされている状態(受け入れる姿勢が整っていない状態)」の2つです。このことは、学習を進める上でも、人生を心地よく送っていく上でも、とても大事なことだと思います。

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例えば、自分が「勉強ができる」と思っている子どもがいたとします。しかし、テストが返却されてみると「30点」しか取れていませんでした。テストで「30点しか取れない」という現実は、その子どもにとっては受け入れることができません。「30点という得点を取る自分」はまさに現実なのですが、そのことを受け入れる準備ができていない子どもにとっては、受け入れることが難しい現実です。

結果として、その子どもは、どうするでしょうか。もしかしたら、そのテストを学校の机の奥深くにしまい込み、時空の闇へと消し去るかもしれません。帰り道の側溝に丸めて捨て去り、記憶からも消し去るかもしれません。みなさまの中にも同じような経験をしたことがある人もいるかと思います。

しかし、大人になってみると誰もが分かりますが、そのような「行為」(自分を受け入れない行為)は、自分に対して何のメリットももたらしません。大事なことは、30点を取ってしまう自分を素直に認め、次に「同じことをしない」(30点を取らないため)にどうするか、を考えることです。大人になると当たり前に分かりますが、子どもはそのことを理解したり、実践したりするのはとても難しいことです。

考えてみると、大人でも難しいのかもしれません。大人であっても、他人から見れば分かり切っている「同じ失敗」を繰り返す人がいます。例えば、離婚、はそのよい例かもしれません。私の知り合いのある女性は、毎回、同じような「男性」と結婚し、別れています。その「男性」は周りから見れば、「ダメな男性(結婚に向かない男性)」なのですが、彼女は毎回、そのような男性に惹かれてしまうのです。おそらく、彼女の中には「見えない自分」が居て、その自分が彼女に同じ過ちを繰り返し、させて続けているのだと思います。考え見ると、同じような大人は多いかもしれません。

さて、今回は「知らない自分」ということをテーマにお話しをしました。次回は、コンプレックスを受け入れる効果、について話を進めていきます。

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