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理解しにくいこと

目で見たり音を聞いたりすることで
色んな情報を集めています。
楽しそうだな。
難しそうだな。
逃げたいな。

生まれたての頃はどれも刺激という信号でしか
感じていなかったと思うんです。
自分にはその時の記憶がないので
わかりませんが。

刺激という信号が時間と共に
意味を持っていると感じます。
自分にとって良いことなのかな。
悪いことなのかなって。

ただしどこかの時点で当たり前に存在することに
意味を感じにくくなると思うんです。
感じていても理解できなくなるのかな?

自分のことを理解しにくい。

声なんかは自分の声を録音で聞くと
最初は違和感でしか無かったことを覚えています。
自分の体の中で感じていることと
客観的に自分をした時がずれがあるんです。

見た目もそう鏡越しに見ている自分は
裏返っています。
理解しているはずなのに
みんなから見られている自分の姿はずれています。

感覚のズレ

社会の中で色んなルールがありますよね。
憲法や会社のルールとか
明文化されたものだけじゃなく、
人同士の関わり方や動物や植物、
石とか建物なんかにも関わり方がなんとなくあります。

「地面を力いっぱい叩けば自分が痛いと感じる。」
何を言ってるんだと思いませんか?

でも小さな子供の時はその感覚てなかったかも知れません。
色んな経験の中で直接地面を叩いたことがなくても
多分理解できるようになってきたはずなんです。

感覚はみんな違います。
体格や性別なんかで分けられるものでもないです。
人として社会を作って生きている中で
自分の感覚が全てではなく、
誰かがズレていると感じるのは
自分という基準に対してだけですよね。

感覚の基準

エアコンの温度設定ですが、
僕は家族の基準よりも寒く感じます。
家族が快適な温度設定では
僕は寒いので一枚何かを羽織って過ごします。

体感温度のズレならば簡単に調整ができますが
他の感覚のズレを自分が理解できていないことは
大きなストレスを感じます。

理解しにくいストレス。

自分の中で周りとズレを感じていなくても
社会の中での基準から外れていることってあるんです。

自分の中で求められる基準に対して努力しても
どうしてもできないことってありますよね。
僕の場合、速記や素早いタイピングです。
物事を理解するまで体が動かないんです。
文章を頭の中で理解するために
何回も文章を確認して脳が納得しないと
体が反応しないんです。

中学生ぐらいの時に自分の中で
自分ができないことを理解したので
その場に応じたできる方法を考えながら生きています。

自分のズレ

自分を理解することは難しくて怖いと感じます。
でもストレスの原因はそこにあることも多いです。
周りに見つけてもらうことが早いと思います。
でも自分でも探すことができるはずです。
自分のズレを見つけて早く幸せを感じませんか。

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