見出し画像

空想の科学実現と未同定感覚:超能力から学ぶ

 超能力と言っても、いろんな超能力があり、透視、念動力、テレパシー(遠隔意思疎通)、未来予知など様々ある。工学の発展は今や超能力的な技術があり、自然界にも様々な人間以外の動物に超能力と言えるようなものがある。ちょっと紹介してみる。(小野堅太郎)

 魔法と超能力は似ているけれども、古典的であることと近代的であるという点でイメージが異なる。魔法は物理化学法則に乗っ取らない「エネルギー保存の法則」に反した技、という感じだが、超能力は何となく科学に則したような技、という感じだろうか。だから、超能力がでてくるお話には、ちょっと科学のスパイスが振りかけられる。超能力てんこ盛りのお話と言えば、大友克洋氏の「AKIRA」で、中学生の時、あのカラーモノトーンで、ぶ厚くておっきなコミックスに熱狂した。相変わらず、マニアな自分は「童夢」という前作にもはまり、「ショートピース」といった初期作品群にはまっていくのだが、これもまたいつものように脱線するので、書くのを我慢する。 「AKIRA」では、漫画版、映画版共通して、薬により能力を高められた超能力者たちの戦いの中に、ふざけた普通の青年が紛れ込む話だ。「大佐」と呼ばれる常識人の視点から見ると、人間に潜む能力と科学の暴走を描いており、いかにもな超能力モノである。「童夢」はその幕開けであったろうし、映画「スキャナーズ」のヒットにより、科学的要素が「AKIRA」に盛り込まれたのかもしれない。

 日本の超能力と言えば、千里眼、である。明治末期に熊本で御船千鶴子による心霊療法が話題になり、東京帝国大学にて透視の公開実験が行われた。結果的に詐欺師と言われて、御船千鶴子が自殺するという後味の悪い事件である。30年前、この千里眼の逸話と数々の都市伝説が渦巻いている中、鈴木光司氏の「リング」が発表された。いまだに、小野のホラー小説第1位で、こんな面白い話はなかった。小学生の時、不幸の手紙が届いた。非常に気分が悪かったが、その特徴ある筆跡がどう見ても友人Aである。彼は必死に否定したが、彼もまた誰かから送られてきて、仕方なく不幸にならないために私に送り付けたのだろう。とはいえ、死んだらいやだなと怯えた1週間を過ごしたのは覚えている(1999年は大人になっていたので気にならなかった)。そういった経験と、緻密な「リング」のストーリーが重なり合い、一気に一晩で読み切った。こんなホラー小説を書きたいと思ったが、なかなか書けない。ホラー映画から何かヒントはないかと見まくっているうちに、ただのホラー映画マニアになってしまった(大学の友人の影響もある)。

 やっぱり話がそれている。超能力と科学の話である。オカルトと科学はコインの表裏という記事を以前書いた。御船千鶴子の件でも、大学教員が関与するあたり、やっぱり、と思わずにはいられない。工学の人たちは、現実的である。科学技術でほぼそれを達成してきている。心電図は最たるもので、人体を傷つけることなく心臓の構造や機能を見出すことができる。この比較的アナログな方法から、CTやMRIはより洗練されたデジタルな透視を実現している。脳の神経活動は、心電図と同じく脳波として体外で記録することができる。この脳波を読み取って、ある思念の時のパターンを機械で読み取り、車いすやロボットを動かすことができるようになっている(念動力・テレパシー)。世界最速のコンピューターとして最近「富岳」が話題になったが、より精緻なシミュレーションを構成できれば、もっと精度の良い未来予測(短期的)も可能になってくるだろう。

 自然界に目を向けてみよう。トリは紫外線を見ることができるらしい。人間には見えない。魚は色に反応する錐体細胞の種類がヒトより圧倒的に多い。視覚だけ見ても、霊長類以外の脊椎動物は多彩な機能を持っている。これは超能力である。5感を超えた感覚を第6感というが、これも超能力であろう。しかし、皆さん、5感とは何ですか?視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚ですね。幽霊が見える第6感とは、見えているので視覚ですよね、5感に含まれます。何か嫌な予感がするという第6感は、おそらく聴覚や嗅覚で感じた経験に基づく気づき、ですよね、5感に含まれます。ヘビはピット器官といって、赤外線を感じることができる。つまり、暗闇でも恒温動物の動きを捕らえることができるということになる。サメやエイには、はっきりとした機能の分からない「ロレンチーニ器官」と呼ばれる感覚器があります。おそらく、他の生物の動きから発する微弱な電気を受容して獲物を捕らえているのではないか、磁気を受容して回遊の羅針盤のように使われているのではないかと言われています。まあ、これらは第6感かもしれません。

 あれ?痛覚はどこに行ったのでしょう。温度感覚や平衡感覚は?というように、5感とは、いにしえの哲学者アリストテレスがなんとなく適当に決めたものです。痛覚は「魂の苦悩」として感覚から外していました(つまり、情動としていたのであながち間違ってはいないのです)。温度感覚や平衡感覚は、アリストテレスはよくわからなかったのでしょう。味覚ですが、吉野先生の記事にあるように、現在は5基本味(甘、旨、苦、酸、塩)からなるといわれていますが、私が学生だった20年前は4基本味で、うま味がありませんでした(ヘニングの4面体という今では消えた概念が国家試験に出てました)。最近は脂味とコク味(カルシウム)が見つかっています。科学界でもあまり知られていませんが、デンプン味やセルロース味の存在もささやかれています。かゆみは、昔は痛覚の一種と考えられていましたが、痛覚伝導路と独立したかゆみ経路の存在が報告されています。

 というように、感覚とは多種多様で、まだ分類されていないもの、発見されていないものがたくさんあります。言語化できていない感覚が鋭敏な人、それこそ超能力者かもしれません。スプーン曲げや壁からハンバーガーを出したりするのは手品ですので、超能力ではなく、超魔術です。

全記事を無料で公開しています。面白いと思っていただけた方は、サポートしていただけると嬉しいです。マナビ研究室の活動に使用させていただきます。