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摘出後も動く心臓の謎:映画インディ・ジョーンズからの学び

インディ・ジョーンズ「魔宮の伝説」は1984年に公開された、シリーズ2作目の映画。原案ジョージ・ルーカス、監督スティーブン・スピルバーグ、  この二人が絡んで面白くない訳がない。娯楽映画としてお勧め一作。この  映画のあるシーン、生理学的に感動!その感動を紹介したい。(吉野賢一)


感動のシーンまで:インディが訪れた宮殿の地下には秘密があった。邪神  カーリーが祀られ、怪しげな儀式が行われていたのだ。司祭であるラムは、  村人を生贄としてカーリーに捧げる。この儀式中に感動のシーンがある。

感動のシーン:ラム司祭はゴニャゴニャと呪文を唱えながら腕を伸ばし、  村人の胸に手を当てる。そしてなんとラム司祭の手が、村人の胸の中にズブズブと入っていくではないか。おもむろに手を引っこ抜くラム司祭、彼の手が握りしめていたのは村人の心臓だった。その心臓はラム司祭の手のうえでドックン・ドックンしている~、ああ感動!

感動の理由:心臓は心筋からできている。心筋には、特殊心筋というスペシャルな筋が存在する(刺激伝導系を構成)。このスペシャル筋があるため、心臓は自分自身で勝手に、仮に体外に摘出されても動く(収縮と弛緩を繰り返す)ことができる(自動能をもつ)。つまり、切断された手や足が勝手に動くことは無いが、ラム司祭の手のうえでも心臓はドックン・ドックンできるのである。さすがルーカス&スピルバーグ、心臓の自動能を見事に表現している。生理学的に感動!

疑問①:心臓を引っこ抜かれた村人は、マグマの中に落ちていく~。マグマによって燃える村人、同時にラム司祭のもつ心臓も燃え上がる。                 なぜ?マジック?いやいやカーリーに捧げる神聖な儀式で、タネや仕掛けがあってはいけない。これはおそらくミトコンドリアの反乱だ!と思うことにしよう(詳細は後の映画パラサイト・イブで。忘れてなければ)。

疑問②:心臓の「動き」をドックン・ドックンって表現したけど、正確ではないような気がする。ドックンは心音だからね。「音」はドックンで良いけど、「動き」は別の表現をすべきかもしれない。なんて表現したら良いのだろう?

余談:ドックンの「ドッ」が第一心音、「クン」が第二心音で、ともに心臓の弁が閉じるときの音。小野先生(生理学実習)のお手伝いで、学生に聴診器を使わせたとき、面白いシーンを目撃した。手首(橈骨動脈)に聴診器  あてて、脈拍を聴こうとする学生がいたのだ。脈拍は聴こえないよ~。それは「動き」で「音」じゃないからね。トライは良いけど、小野先生の講義を  聴いてなかったな~。感動できないけど、笑えたからOK!


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