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「見舞講」を始めます!

身近な仲間5人で、「見舞講」という講を始めてみることにしました。

一応、令和2年10月1日からスタートする予定です。

仕組みはカンタンで、「メンバーの誰かが入院したら、見舞金として1万円ずつその人に渡す」というだけ。

今のところメンバーは5人なので、入院すると4万円の見舞金が手に入ることになります。

まあたいした額ではありませんが、半分遊びみたいなものですので全く問題ありません(笑)。

しかしこれがたとえば20人なら20万円が手に入るわけで、なかなかバカにならないとも言えます。

ちなみに、こんな形で規約をつくってみました。

<見舞講>

講会規約

一、この講を見舞講とする。

一、講員が入院した際、他の講員は入院した講員に見舞金としてそれぞれ一万円を渡す。

一、見舞金の受け取りは一度限りとする。

一、全員が見舞金を受け取った時点で講は解散する。

一、集会は必要に応じて開催する。

一、この規約は講員の全会一致をもって改訂することができる。

以上

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それっぽい雰囲気を出すために、わざわざ毛筆で書いてみました(笑)。

まあ要するに、困った時の助け合いの仕組みです。

いくら親しい間柄でも、現金のやりとりはいろいろ気を遣うことが多いものです。

そこで、あらかじめこういう規約を作っておけば、スムーズに助け合いがしやすいんじゃない?という思惑もあります。

でも本当の動機は、なんとなく「講」のようなものをやってみたかった、というだけなのですが(笑)。

ただ損得感情みたいなものが出てくるとややこしいので、「見舞金の受け取りは一度きり」という制約を付けてみました。だから最終的にはプラスマイナスゼロになります。

もし最後まで入院することなく、受け取りの機会が一度もなければ、「いやあ、ずっと無事でよかったねえ」と思えばいいわけです。

ところで、僕が「講」を初めて知ったのは、哲学者・内山節先生の講義によってでした。

内山先生によれば、講はもともと自発的に作られた信仰集団で、それは同時に娯楽集団でもあり、助け合い集団でもあったといいます。

たとえば協同作業のネットワークである「手前講」、寺を巡礼する「巡礼講」、メンバーの死を看取る「看取講」、葬式の一切を取り仕切る「葬式講」、経済的な相互扶助の仕組みである「頼母子講」「無尽」などがあります。

田舎では協同作業のような形で助け合っていましたが、江戸のような都市部の講では、お金を使っての助け合いがなされていたそうです。

そんな話の中で、「現代でも『お見舞い講』のようなものを作ったらどうか」というようなことを内山先生がおっしゃっていて、「ああ、それは面白そうだなあ」と、ずっと頭の中にあったのでした。

僕らが始めた「見舞講」の規約は、あくまで僕らのオリジナルバージョンで、できるだけみんなの負担がなく、カンタンに始められる仕組みにしています。

そこに加えて、例えばみんなで月々の積み立てをしてもいいでしょうし、定期的な会合を設定するのもいいかもしれません。

それぞれオリジナルの規約を作って、みんなが独自の「講」を作り始めたら面白そうです。

ちょっと真面目に言えば、いろんな社会の仕組みが、どんどん自分たちの手から遠ざかってしまったのが今の世の中だと思います。それをもう一度、自分たちの等身大の世界に取り戻していくことが僕たちの課題のひとつのような気がします。

「見舞講」はそのための小さな実験でもあり、僕たちにとっては愉快な遊びでもあるのです。

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