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眞木準さんのユーモアとやさしさにあふれた言葉は、いまでもずっとお手本である

「四十才は二度目のハタチ。」

日本を代表するコピーライター、眞木準さんの名コピーだ。

これをふいに思い出したのは、僕自身が「二度目のハタチ」を迎えた時だった。眞木準さんの作品集『一語一絵』(宣伝会議)によれば、もともとこのコピーは、「伊勢丹の男の新館四十周年という周年イベント広告用に書いたもの」だそうだ。

友人の還暦の際には、「六十才は三度目のハタチ」などと使いまわしていたという(笑)。確かに「二度目のハタチ」「三度目のハタチ」と言われると、ちょっとアグレッシブな気分になってくる。

「ネガをポジに変えるのは、コピーの得意技のひとつである」と眞木さんは言っているが、僕がかつてコピーライターをやっていてよかったと思うのは、まさにこの点である。

コピーライターは、良くも悪くも、その商品の「いいところ」をみつけようとする。その作業をずっと繰り返していると、これがクセになって、人間に対しても、その人の「いいところ」に注目するようになる。あるいは「いやなところ」があったとしても、視点を変えることによって、それを「いいところ」に転換しようとするクセがついてくるのである。

これは自分自身にも応用可能で、自分のダメなところを(ときには無理矢理に)ポジティブに捉えられるようになってくる。

眞木準さんは若くして亡くなられてしまったのだが、僕にとって眞木さんは少なからぬご縁のある人である。

僕がコピーライターになったきっかけに、『コピーライターになるには』(片岡弘著、ぺりかん社)という本との出会いがあった。その本の中に登場していたのが、当時博報堂で活躍していた眞木準さんだった。

「でっかいどお。北海道」など、ダジャレコピーで有名だった眞木さん。大学を中退して、自分の進むべき方向を模索していた当時の僕に、ひとつの目標を与えてくれたのが彼だった。

たいしたとりえもない自分だけれど、国語だけはずっと好きで得意だった。「コピーライター」という、「言葉」で勝負する仕事なら、学歴など関係なく自分の力でやっていけるんじゃないか。そう思ったのである。

その後、宣伝会議コピーライター養成講座に通い、そこに講師としてやって来た眞木さんに会ったときは、とてもドキドキしたことを覚えている。

やがてコピーライターとして東京の広告代理店に就職し、眞木さんと再び会うことになった。公募のコンテストで小さな賞をとって、その授賞式で眞木さんと名刺交換をさせてもらったのだ。これは今でも心に残るいい思い出だ。

その頃、眞木さんはすでに博報堂を退社し、自身の事務所を立ち上げ独立していた。それから数年後、眞木さんが突然心臓の病で亡くなったと聞いたときは、本当にショックだった。

眞木さんにも、三度目のハタチ、四度目のハタチを迎えてほしかった。

僕自身はもう広告コピーを書くことはほとんどなくなったけれど、眞木さんのユーモアとやさしさにあふれた言葉は、いまでもずっとお手本である。


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