Otonaの発達/いいとこどりする。


【オンラインか?オフラインか?】

最近、zoomで研修を受けたり、ミーティングしたり。そういうのが多い。そんな流れの中で、オンラインにチャレンジすることに抗う人もいる。オンラインでは集中できないとか、やっぱり会って話すべきだ、とか。何となくそんな雰囲気に感じている。

そういう意見や雰囲気が良いとか悪いとかそういうことが言いたのではない。私としては、「オンラインとオフラインどちらが好きか」と聞かれれば、「オフラインが好きだ」と即答する。会うことでその場に温度感があって、相手の雰囲気や波長をを感じられる。だから、オフラインの方が好きだ。

でも、だからといってオンラインを活用しない、という選択もとらない。オンラインにも「魅力がある」から。


テレビやネットで、教育のICT化オンライン化の話が話題になっているが、多分専門家が思うほど、スピーディに話は進んでいかないのではないかと感じている。教育現場でも今までのやり方=オフライン式にこだわる方がたくさんいるだろう、ということが予測できるからだ。

何度も繰り返す。「私はオフラインが好きだ」
でも、学校教育や職場でオンラインやリモート勤務を可能にしていくことは絶対に必要だと思う


オンラインが好きか、オフラインが好きか。
オンラインがいいか、オフラインがいいか。

その二択で判断するのではなくて、
オンラインでできること、オフラインでできることを考える。オンラインの強みとオフラインの強みを活かす。オンラインもオフラインもただの手段だから。


【目的を踏まえた、いいとこどり】

例えば、教育現場の目的は「教育を届ける」。
子ども達に教育を届けるための手段でオンラインとオフラインの方法が存在するだけで、目的達成のためには、どちらも使えばいいと思う。むしろ、どちらかだけを使う方がおかしい。どちらも「いいとこどり」して活用すればいい。

学校教育の中で、触れ合うこと、場を共有すること、お互いに温度感を持って接すること。オフラインでしかできないことはオフラインで。本当にオフラインでしか届けられない教育だけ、オフラインですればいい。


最近、知り合いの子ども(中学生)とオンラインでやり取りしている。時には、宿題をやってみたり、時にはアプリを活用してみたり。そんなやり取りの中で感じたことは、案外、オンラインだからこそアナログ的なこともあって、だからこそ養える能力もあるのではないか。ということ。例えば、オフラインだと「あれ、これ、それ」という指示語で成立することがオンラインだと成立しないことがあったりする。

Zoomの画面共有を使って、私のiPadに入れている教材アプリを使ってみた時、(画面共有という機能を使うと私のiPadの画面が相手にも共有される)、私がアプリの操作をする人、相手が問題を答える人、という感じになった。都道府県を日本地図に当てはめていくアプリで、画面は共有できているけど、アプリの操作そのものは私がしかできない。だから、相手が指示を出して私が動かしていくような感じになった。

初めは、「上」とか「下」とかざっくりとした指示だったのが、私が指示を出した通りにしか動かさないので、だんだん「●●の右どなり」とか「左斜め上方向に動かして」など、私が動かしやすいように指示が細かくなっていった。でも、それは私から要求したことではなく、「自然とそうなった」のだ。


社会生活の中で、声だけで伝えなきゃいけない場合も多くある。声だけではなく、文字だけとか。
オフラインだけの世界だと「あれ、これ、それ」で成立して特に不便を感じないけれど、オンライン上だと「あれ、これ、それ」では伝わらないから不便さを感じる。だから、適応していく。自然と。


オンライン=楽、オンライン=便利というイメージがあるけれど、むしろオンラインでのやり取りがオフラインよりもアナログ的な要素を含む部分もあるよな。…より自立的で自律的な部分だってある。肌感覚で伝えられないからこそ、言葉や文字を工夫したり、彩ったり


オンラインでもオフラインでも。自分にとって必要なものを選ぶ、選択する。どちらが優れているかという表面的なことではなく、今の自分にとって必要なものを取り入れていく。でも、何が必要かなんて、まずやってみないと分からない。だから、やってみて違いを感じてみる。違いを感じるからこそ、自分に必要なものかどうか選択できる

だから、「食わず嫌い」だけは避けたいよなー。違いを感じて、新しい自分を発見していく。それを想像するだけで楽しくて、気になるものは全部やってみる…そんな最近の私です。


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