「善意なら許される」は間違っている――マッカスキル『〈効果的な利他主義〉宣言!:慈善活動への科学的アプローチ』レビュー①
(※この記事は2020/01/14に公開されたものを再編集しています。)
寄付や慈善を嫌う人たち
芸能人や著名人が慈善活動にコミットしたり、寄付をしたりするとき、不思議なほど厳しい態度を見せる人たちがいる。「寄付」「NPO」「慈善活動」などのワードとともに、「売名」「偽善」「批判」などの言葉を打ち込んで検索してみてほしい。Rola、YOSHIKI、紗栄子など、数多く見つかるだろう。
もちろん、著名人だけの話ではない。寄付を募るNPOや社団法人等のSNSでの投稿に対して、どのようなリプライやコメントが集まっているか、調べてみるとよい。目を覆いたくなるような、醜悪な言葉が並んでいる。
今回の書評で取り上げるのは、ウィリアム・マッカスキル『〈効果的な利他主義〉宣言!:慈善活動への科学的アプローチ』である。原題の直訳は、『もっとうまく善いことをする:効果的利他主義は、どのように、自身と他者において、重要な仕事を成し、社会貢献でより賢い選択をする手助けをしてくれるのか』。
一言で言えば、世界をよくすることに効果的に貢献するにはどうすればいいかという問題意識から、五つの指針を提示し、エビデンスや推計をもとに慈善活動にコミットすることを奨励する本である。マッカスキルは、貧困・生存などの明らかな不幸や苦痛、あるいは、気候変動などの取り返しのつかないタイプのリスクに注目した功利主義を提案している。というより、マッカスキルは、起業して活躍する哲学者なのだ(学位持ちの大学教授だ)。
功利主義の特徴
倫理学者の児玉聡は、功利主義の特徴を三つに整理する(『功利主義入門:はじめての倫理』ちくま新書)。以下は私なりの要約である。
A 帰結主義
:行為の正しさを評価するために、行為の帰結に注目する立場。ただし「結果論」のように終わり良ければ、何であれその行為は正しいという見解ではない。ある行為はこういう結果を引き起こすだろうという事前の予測に基づく評価である。
B 幸福主義
:帰結として考慮すべきなのは、行為が幸福に与える影響であるという見解。イギリスの思想家ジェレミー・ベンタムは、快を増やし、苦を減らすという快楽説という立場をとった。これは幸福主義の一種。
C 総和最大化
;人びとの幸福の総和が最大になるよう努める立場。ただし、「各人を一人として数え、誰もそれ以上には数えない」とベンタムは注意を促す。特定の個人や集団の利益追求の立場には、むしろ批判的。
これらの立場はいずれも一定の魅力を持った見解であると思われる(Cについては批判も多いが、現代の功利主義からの有力な応答も数多くあるので関心のある方は、『功利主義入門』を参照されたい)。マッカスキルの提示する「効果的な利他主義」は、これら三つの指針を、エビデンスに基づいて実践するための手がかりだと言える。
五つの原則
マッカスキルは、社会や世界を改善するための行動―――慈善活動、寄付先選び、社会改善のためのキャリア選択など――において頼りにすべき原則を疑問文の形で提起している(余談だが、疑問文で原則を立てるという方針は、デザイン研究者ヴィクター・パパネックのそれと一致する点で非常に興味深い)。
いずれも、予想される帰結に注意を払いながら(A帰結主義)、健康や教育など客観的な利益の保証を目標として(B福利主義と呼ばれる幸福主義の一種)、その利益を最大化する(C総和最大化)ことに力点が置かれている。
何人がどれくらいの利益を得るか
ある額の寄付、ある時間の慈善活動で、どれくらいの人にどれくらいの利益を与えられるかを問題にしている。とにかく善意で行為するのでなく、この行動で何がどう変わるかに注目する。
これはあなたにできる最も効果的な活動か
可能な範囲で、費用対効果の高い選択肢を選ぶ。単に効果があるだけでなく、「この選択肢が妥当か」と自問するきっかけを用意する役割を果たしている。
この分野は見過ごされているか
人は目立ったところを支援したがる。被害者数や規模の点で、よりひどい災害があっても、より共感を誘われる事例に人は惹かれ、寄付金が偏ることがある。また、効果的な寄付先だからといって、活用しきれないほど特定の組織に集まりすぎることは無益だ。この原則は、共感の偏りを是正する役割を持ち、「総和最大化」を効果的に実践する補助規則とみなせる。
この行動を取らなければどうなるか
ある行動(例えば外科医になる)で人を救えるかもしれないが、誰か他の人がやるはずだった仕事を代わりにしているのかもしれない。単に慈善を目的にするなら、寄付するために稼ぐという発想もありうる。この原則は、様々な選択肢を想像し、効果を比較検討する手がかりを提示している。
成功の確率と成果はどうか
大規模災害リスクの緩和、最も悲観的な気候変動シナリオへの対処、政策変更を訴える運動など、可能性が相当低い場合でも、成功のリターンがあまりに巨大なので効果的なこともある。この原則は、特定の選択肢を効果的だと決め打ちせず、色々な仕方で「効果」を捉えるのに役立つ。
実のところ、マッカスキルは、現代の功利主義者ピーター・シンガー(『あなたが救える命』などで知られる倫理学者)の影響を受けているし、シンガー自身、「効果的な利他主義」に賛同して推薦文を書くだけでなく、『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと:〈効果的な利他主義〉のすすめ』を著している。こうした流れは、「効果的な利他主義運動(effective altruism movement)」と呼ばれるほどの存在感を持ち始めている。
実際、耳目を集めるのが当然というくらい、上に提示した指針は、選択肢に迷った際に比較するための参照点として魅力的であり、この指針がピンとこない人にすら役立つものだと私は思う。
本書の構成
本書の第一部は、各指針に一章が対応する形で解説される。いわば理論編なのだが、基本的に事例ベースに話が進むので非常に読みやすい。また、読者が浮かぶだろう疑問には、大抵、著者なりに一応の応答がなされており、マッカスキルの一貫した態度に感銘すら受けるはずだ。
第二部は、実践編。より具体的な問い――「搾取工場製の衣服を買わないべきか」「フェアトレードは有効か」「社会的善(ソーシャルグッド)の実践に適したキャリア選択などのようなものか」など――が、五つの指針や、第一部で紹介された推計や思考の方法をもとに検討される。エシカル消費と聞いて「おっ」と思う人は、こちらから読んでも構わないだろう。
動機への無関心と「帰結主義」
本書のライトモチーフは、エビデンスに基づいて社会的善を実践するために、「善意」を問題にしない、ということだ。悪意を奨励するのではない。著者は、ただ単に動機に関心を置かない。それが重要だと考えた形跡すらない。
日本社会は、芸能人の寄付活動などを見て、「慈善活動は偽善である」「利己的な動機を隠している」といった見方を取りがちに見える。しかし、「地獄への道は善意で舗装されている」という慣用句があるように、善意が必ず善行につながるわけではないし、悪意が悪行を生み出すとは限らない。
功利主義と同様に、マッカスキルの「効果的な利他主義」は、帰結主義を採用している(というより、効果的な利他主義は功利主義の一種である)。マッカスキルが奨励するのは、この行為によって、貧困、教育、気候変動といった問題にどれほどの貢献が見込めるか、自身の支援がなかったときに何が起こるかという、計算に基づく理性的な「計算」に他ならない。
心理や動機にこだわる日本社会
彼は、その背後にどのような利己的な動機があるか――売名だとか、善人アピールだとか――を全く考慮しない。純粋に、その支援や行動が、社会問題の解決に資するかどうかだけを問題にする。この姿勢には、SNSなどで相手の心情を邪推し合う社会にあって、学ぶべきところが多いと思われる。(*)
日本社会は、「ルサンチマン」「コンプレックス」「自己愛」「承認欲求」「利己的」などの通俗化された心理学を好んで使っているように私には見える。実際、冒頭で言及したように、寄付やボランティアに接すると「偽善」の声が上がり、何らかの利己的な動機を邪推されることも多い。だが、動機や心情を邪推された側は、それに反論することそのものが「ルサンチマン」「自己愛」の証拠にされてしまうので、黙るほかなくなってしまう。心理や動機を問題にすること自体が、暴力的になりうるのだ。(**)
振り返れば、思想家の丸山眞男が、心情や感覚に最も価値を置く判断形態を、「実感信仰」と呼び、『日本の思想』(岩波書店)で批判していた。何か悪い影響を及ぼした意思決定の当事者が「よかれと思って」と善意を告白すると、実感信仰の人は、結果の良し悪しに何も言えなくなってしまう。実感信仰――いわば「お気持ち」への共感――は、結果への責任を曖昧化してしまうのだ。
動機の邪推と善意至上主義はいずれも「実感信仰」の問題であり、これは、丸山が日本社会の病理の一つとして指摘したものだった。とすれば、『〈効果的な利他主義〉宣言!』の検討を通じて、私たちは、日本社会の根深い問題の一端に、別の仕方で光を当てたことになる。この本は、日本社会について思考を進めるための灯にもなる。
ウィリアム・マッカスキル(William MacAskill: 1987-) 哲学者、倫理学者、起業家
https://en.wikipedia.org/wiki/William_MacAskill
ウィリアム・マッカスキル『〈効果的な利他主義〉宣言!:慈善活動への科学的アプローチ』(Kindleあり)https://www.amazon.co.jp/dp/B07K1C698T/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_joDcEb9KC39PG
児玉聡『功利主義入門:はじめての倫理学』(Kindleあり)https://www.amazon.co.jp/dp/B01IHFLN8W/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_emDcEbNG8ZG1M
ピーター・シンガー(1946-) オーストラリアの哲学者、倫理学者https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
ピーター・シンガー『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ』(Kindleあり)https://www.amazon.co.jp/dp/B019MG22DU/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_rnDcEbXPXRCQ6
丸山眞男『日本の思想』(Kindleあり)https://www.amazon.co.jp/dp/B0183IMP0S/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_PpDcEbSTP2E3J
(*)松本渉「日本・米国・韓国における社会貢献の意識と行動の国際比較:二種類のモードからなる市民社会調査の連鎖的な比較」『情報研究:関西大学総合情報学部紀要』43号, pp.43-64, 2016.(この論文はウェブでpdfが閲覧できる)
この調査では、ボランティア活動へのイメージに関して、日本人の8割程度が「心から尊敬できる」と答えた一方で、14-17%の人が「何か偽善的な感じがする」と答えている。なお、半分程度の人が「ボランティア活動への参加経験はない」と回答している。
研究者としては、限定的なデータから大げさなことを述べるのには禁欲的であるべきなのだが、日本社会には「寄付」や「慈善」を「偽善」と捉える心の習慣を持っており、時にその見解を当事者に差し向けさえするということは確かだろう。
余談だが、この論文について、過去の書評(下記)との関連で興味深いのは、日本人の半分以上が「ボランティア活動の参加者は初対面でも信用できるか」という問いに、「初対面の人は用心した方が良い」と答えており、米国と比べ、見知らぬ他者への信頼に乏しい社会だという傾向が読み取れることだ。
過去の書評「評価経済、あるいは、信用を求め合うユートピア ――小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』レビュー①」
https://manabitoki.castalia.co.jp/home/bookreview-underground-economy-and-anthropology-ver1
(**)すべての行為の動機の背後には「利己主義」がある、あるいは、常にそう読み解きうるという見解がある。これは、イギリスの思想家トマス・ホッブズの見解とされるものに似ている。ホッブズは、貧者への寄付すら、結局自分のためにやっていると述べたとされる。しかし、これは単に「利己」「利他」の意味を元の文脈から変えてしまっている。また、そもそも動機を最重要視しない立場もある(帰結主義など)。こうした「利己主義」について知りたい方は、児玉『功利主義入門』第一章をご覧いただきたい。
②に続く
2020/01/14
著者紹介
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